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見えているものを確認する

とても腹を立てているようだった

私はそれほどでもなかった
同じ仕事をしているのに
私とその人とではその日積み重ねた
感情は違うのだった
そんな当たり前のことを
きちんと受け止める
だって、
私の方が感情を積み重ねる日もあるのだから

だから、
私がその日積み上げた感情よりも
少し多めにしてたくさん話した

何が見えているんだろう

同じ景色を見ても
まったく同じに感じる人なんて
きっといない
私が特別だからではなくて
みんなそれぞれに見えてるものは
違うもいうこと
だって、
それぞれにバックボーンも価値観も
違うのだから

似ていることが嬉しいこともある
違うことが楽しいこともある

誰かが決めた色見本を見て
同じ色に見えるかは分からない

そういうことを多様性だなんて
難しいことは言いたくないし
多様性ひとつひとつに定義を
いちいちつけることもすすんで
したいと思わない
とても窮屈になってしまうし
あなたは当てはまるけど
あの人は違う、とか言い始める人が
出てくるでしょう?

そういうのをすぐにネタにする人が
いるでしょう?
私たちはあなたのネタでもないし
私たちはあなたの承認欲を満たすための
引き立て役でも踏み台でもないもの

私は答え合わせがしたいわけでも
自分の正しさや価値を知りたいわけでもないの

話がしてみたいのよ
どんな風にせかいのいろが
映っているのか知りたいの



さんどめましてのお誘いを頂戴する

お相手の方々には失礼な表現に
なってしまうけれど表現を選ばずに言うと
『どうして私を誘ってくださるのだろう』
が先にきて、そうしてひと呼吸おいて
『わあ、嬉しい』がやって来る

ひねくれているわけではなくって
私が誰かの記憶のなかにいたり
誘って頂けるわけがないと思っているから
驚いてしまうの
文通をさせてもらっていることもそう、
いやいや付き合わせてしまってるのかなあ
とか考えてしまう

どうしてそんな考え方しか出来ないのかは
分からないけれど、承認欲求がどうかより
私の場合は、あまり過度に期待すると
その分ガッカリしたり傷ついてしまうから
予防線を張っているのかもしれないなあ

何とまあひねくれた考えだこと…
(それを公にすることはないだろうに)

兎にも角にも楽しみだ!



お声かけを頂くということでは
もうひとつ嬉しいことがあった

クリエイターお問い合わせを通じて
共感のお声を頂戴した
いや、共感が嬉しかったのではなくて
メールを通じてお話しできたのが
嬉しかったんだなあと思う

よく分からない詩や文章を書いているから
コメントしにくいですよねえ
と客観的に見ても思うのです

でも私はクリエイターではないし
本来的には交流がしたいのだなあと
思っているからとても嬉しかったです

この場をお借りして改めて
ありがとうございます



今日は一部予定を変更してお送りしました


たんなるにっき(その43)

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