見出し画像

ゼロにも隙間があると信じたいと、ひとの間と星の間で思う月曜日

映画『インターステラー』で流れる
ディラン・トマスの詩をご存知でしょうか。

あの快い夜の中へおとなしく流されてはいけない老齢は日暮れに 燃えさかり荒れ狂うべきだ死に絶えゆく光に向かって 憤怒せよ 憤怒せよ

滅亡間近の地球を守るため宇宙へ旅立つ父親
それを信じて待ち続ける娘
死にゆく地球の運命に抗う物語
SFではあるが、愛の物語

ディラン・トマスは
病床の余命幾ばくもない父親に向けて
うたったそうだ

私も父を亡くしているが
闘病期間も長く
苦しんでいる姿を見て
もう頑張れとは言えなかった

気が小さかった父には
余命を伝えず
普通に接することが
ベターだと判断をした

哲学者であるハイデッカーは
人間は『死への存在』であるとした
難しいことは立派なひとに任せるとして
死を意識したときに
人間は時間も可能性も有限だと知るから
気づかいや良心が生まれ
何事もいつかやれば良い
ではなくなる
とかいうことだそうだ

確かに今日生きるので精一杯で
希死念慮などにおびやかされている時は
生も時間も生々しかった

それはそれとして
終わりを棚上げすることはしないまでも
人間は生の連続性
だということも裏返しで感じていたい
(ハイデッカーの反証ではないよ)

今日は楽しかったな という喜び
明日何しようかな という期待
明日こそは という憤怒
逢いたい という恋慕

死を殊更に意識するのではなく
生と日々と小さな幸福を
より一層感じるために

終わりがあることを片隅に置く
ということ

時間と距離と次元を越えて
娘に逢いたいと願う
インターステラー(星間)
想いはすべてを越える

明るく、楽しく
可能性を切り拓くために
苦しさも、悲しみもある

日々を溢れる想いで
過ごしていこう
せっかく生きてるんだし

やがてそれは溢れるほどのおもいでとなる



















よろしければサポートをお願いします。自費出版(紙の本)の費用に充てたいと思います