テレビはつけていない。でも、あのニュースのこと
うちの冷蔵庫はヴーヴーと音を鳴らし続ける
それもそのはずだ
私が東京に出てきてからほぼずっと生活を共にしているのだから、相当なベテランだ
テレビを消してひとり部屋にいると冷蔵庫も空気清浄機も割と大きな音を鳴らしていることに気づく
そして、ああそうだ
今日も私はひとりだったんだなと気づく
ひとりには慣れたが、孤独には慣れていない
人は怖くて苦手だが、誰かとつながっていたい
追われるより追う方が好きだ
とてもめんどくさい、実にめんどくさい
私は器用貧乏の不器用だ
そつなくこなし、社交的に見られるが
とても非効率で、よく悩み、つまづき
そしてとても人が怖い
少しも社交的なんかじゃあない
人見知りってやつは2種類あると思っていて、1つは王道のザ人見知り周りから見て、あぁこの人は大人しいんだな。ちょっと人見知りなんだなと分かるタイプ
隠さないというより、それを隠せない
もう1つは、人見知りということがバレたら余計に居づまりが悪くなって、気恥ずかしさが増したり、心を覗かれてるみたいで嫌だなと思って隠すタイプ
私はこっち
同じ毎日で、しかもコロナで世界はより狭くなった
人見知りにはそれはそれで平和なのだけれど、先述の通り私はめんどくさい
ひとりは良くて孤独は嫌だと思う
ここのところの、つめたい秋の雰囲気は余計にそれを助長して、なんというか疲れたなと感じてしまう
死なないし、生きるけど
でも、ニュースを騒がせる逝ってしまった人たちのことは何となく分かる
何が分かるんだって言われても、当事者じゃないから分かんないのだけれども
でも、分かる
私だってそうなっていたかもしれないから
もしかしたらこの干支ひと回り分は壮大なアディショナルタイムだったかもしれないわけで
でも、それは自分で決めたんだ
自分で、生きようって決めたんだ
とてもとても紙一重で、
私の足はもう俵を割っていたかもしれないのに、私は勝手にそれを認めなかっただけで
とてもとても紙一枚の、
薄い氷を息を殺して歩いて
そして、途中からゲームの裏技みたいに
足をバタつかせたら落ちないとかいう
勝手なルールを作って進み続けたってだけなんだ
意味が分からないかもしれないけど、間違いだらけで、一生懸命だけじゃあ成果にはつながらないって痛感するけど間違ってても進み続けるしかなかった、一生懸命しか他に方法がなかったんだなと思う
鬱になって、治療薬のせいなのか、脳がギュッてなりすぎたからなのかいろんなことは沢山忘れてしまったのに、あの頃、戦ってた自分自身のことは覚えてる
自分ごとだけど、あの頃の自分自身のことを忘れたらとてもかわいそうな気がするから
あの頃の自分が生きると決めて、一生懸命頑張ってくれたから今の自分がいるんだもの
間違いだらけで、ツギハギだらけだとしてもね
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