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考えていることをそのままにしておくと流れは停滞し、水は濁るみたいだと思った

土曜のよる

夕ごはんを食べ終えてお会計の列に並ぶ
首につかまるようにしながら抱っこされた
女の子は後ろに並ぶ私の顔を見る
目が合ったので微笑み返すと、同じように
笑い返してくれる
マスクをしたままでも笑ってるのが
分かるんだね、よかった私は笑えてるね
嬉しくなって手を振ったら、ぎこちなく
振り返してくれるから、またかわいい

お父さんに内緒でやり取りしてるみたいなのも
失礼なので『手を振り返してくれてありがとう、
かわいいね』と親娘に向かって言うと
『最近手を振れるようになったんですよ』と
お父さんが声を返してくれた
Tシャツの袖口から刺青が見えてたって
私は気にしない、時代は変わってゆくのだから

何より我が娘のことを嬉しそうに話す
お父さんの表情は誰よりも柔和に見えた
胸がいっぱいになる

日曜のひる

レターパックを投函しに行く
昨日、3人の方に向けてお手紙を書いていた
のだけれど、結局書き上げたのはお一人分だけで
途中でやめてしまった

営業さんから『その後ご検討いかがですか』と
連絡が来たけれど、返せていない

PCもノートも閉じたまま、考えているっぽい
時間が流れ続けている

同時にいくつものことをやるのは苦手じゃない
だけど、いくつかのことが進まないでいるのは
実は至極かんたんなこと
優先順位が分かっているから

にも関わらず進まないのは難題だから
仕事というか自分自身に関わることで
期限の決まっているものをやらねばならない

向き合うしかないのだ


ひるがえって日曜の午前

そう、早めにやるべきことをやろうと眠い目を
こすり倒して無理矢理起きたのに気づけばテレビに
釘付けになっていた

里見女流四冠の一戦に感動しきりだった
終局後のがっくりと肩を落とす姿が印象的だった

私自身が本当の本当に本気でいる瞬間て
どれくらいあるのだろうか、と考えてしまう
乗り越えることと、やり過ごすことは違う
必死になって手繰り寄せることと
目の前のことを一生懸命になりつつも
やり過ごしたり、こなそうとするのは違う
怠けたり、不真面目なわけじゃないからこそ
余計に私は中途半端なのだろうな

自己評価や自分自身への期待が大きすぎて
まるで自分を中心に世界が回っているかのように
自己矛盾もなんのそので、放言してる人のことを
軽蔑してしまっている私だけど

自己評価は高くないのに、自分自身というか
これから先の生きていく道のりに全部失望する
ようなことは出来ない
自己矛盾も放言もしたくないから気をつけてても
中途半端な自分自身も大概だなあと冷静に思った

さらにひるがえって金曜のよる

ふとした瞬間に痣を見つける
肘の内側がうっ血していた

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きっかけになった動作をまるで覚えていないし
痛みすらない、
いつから出来ていたのかも分からない

痛みとはその瞬間に何かがあったと
教えてくれるものなのだ

傷痕はその瞬間に何かがあったことを
忘れさせないもの
消えて良い傷痕と消えてはいけない傷痕

痛みが消えて、傷跡が消えてゆくにしたがい
新しく何かが得られるということ
癒しも赦しも喜びもまた
乗り換える、あるいは忘れてゆくということ

微かに残る別の傷
見えないまま残る内側の傷や後悔
それらすら愛おしい私自身である
とは、完全には思えていないなあ、まだ

騒がしいひとのこえや動きに
目と耳を動かしながら、また考える


たんなるにっき(その45)

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