6/23(木)の覚え書き

《某駅北口にて》

午前中に手作業で草刈り作業…。おかげで全身が痛いです😇


 デパートの入口でバルーンを配るお兄さんと選挙演説の掛け声をばら撒く被選挙者。体感気温30℃の真夏日陽気に、汗ばむ両者はその点において違いは無いが、後者の方が真剣に見えるかも知れない。だが前者の方が社会の歯車である点において、好感度の高い印象がある。無論バルーン配りの好青年が金持ちの道楽や社会経験の一貫で、当該の行為を行っていた可能性は無いとも断言出来ない。またwithコロナが高らかに叫ばれる昨今、メガホンを通し必死に唾を飛ばす彼が下積み25年のサクセスストーリーを歩んでいるのであれば、それはそれで涙ぐましい努力であり、ハンカチとポケットティッシュ1枚が入用になるのかも知れない。しかし個人的に政治家のサクセスストーリーほど感動しないものは無いと思う。年齢を重ねれば精神的な許容範囲は増えるのだろうか、自分のこころに疑問を抱きながら、花壇のアガパンサスを眺める。Google大先生によると花言葉は『恋の訪れ』や『愛の訪れ』らしい。ふっと鼻で笑いながら、受け身だらけの自分を全身の5%程度恥じる。
 自分の政治アレルギーは深刻であり、駅前で候補人の美辞麗句がビッシリの紙切れ1枚を受け取るだけでも嫌気がさすのだ。現実とフィクションを混同したくは無いが、あるキャラクターが『政治権力とは下水処理場のようなものだ』と呟く。無ければ困るが自分から近づきたいものでもないらしい。この考え方には奇妙な説得力がある一方、無責任さの印象が余りにも強い…。しかし自分の政治に対するアレルギーは私自身が形成したものなのだろうか、ハイデガーは『世界内存在』の言葉で誰しも時代に接しない選択肢は無いと述べた。そうだ、自分だって歴史的な存在なのだ…。
 そんな捻くれた感想を覚えつつ、定食屋の暖簾へと潜り込む。首元には赤く染まった刺され跡、かの生活害虫に片想いの目印を刻印された昼下がり。どうやら恋は気付かぬうちにされるものらしい、傷跡をさすりながら腰を降ろす。花言葉とは存外正確な観念だと自己満足した1日であった。




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