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間についての探求_導入

 間について疑問を持つようになったのは、ちょうど3年くらい前の夏、ハイデガーの「存在と時間」を読み始めたことがきっかけであった。今思えば前提知識も無しに良く読み始めたものだと思う。ちょっと前にはシュタインズゲートというアニメのなかで
「人間は根源的に時間的存在である」
という言葉が出てきたこともあり、思ったよりも哲学は身近になりつつあるのかなと感じた。まぁ精神的に近づいたからと言ってより深く理解したわけではないのだが…。
 ハイデガーの「存在と時間」は東洋思想、特に老荘思想のパクリだと言われているが、確かにハイデガーの哲学を「どう生きるか」のテーマで解釈した際はそう感じることだろう。一方で「今をどう生きているか」というテーマで解釈した場合には、非常に科学的に理解されると思う。ハイデガーはフッサールから現象学の地盤を一部継承していることも背景にあり、認知的な分野で現在の認知心理学の基礎となったとも言える。
 私は哲学を「どう生きるか」という倫理学的なテーマから離れ、「どう生きているか」という実存主義・現象学的なテーマで解釈することにした。するとどうだろう。「間」は私達が生を認識している限り、継続的に不断に世界に存在しているのだ。
 時間・空間・世間…多くの自然的世界に間は属している。いやもしくは間に世界が属しているとも解釈することが出来る。
「間」を探求することで現在の認知について、より深い理解が得れるようになれば、私の心の安寧に繋がることであろう。

画像は来年の3月で部分廃止が決定したJR日高本線本桐駅構内。2015年から列車が来ていないため線路は赤錆び、草原の中へ埋もれ面影を消そうとしている。

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