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隣人夫婦の喧嘩に思う

隣の夫婦は週に一度の頻度で喧嘩している。喧嘩といってもいろいろあるが、怒鳴り合いに罵り合いという、激しい種類の喧嘩である。

うちはマンション住まいで、特に壁が薄いわけでもないし、普通に生活している分には隣人の話し声や生活音は全く気にならない。

しかし週一の大喧嘩だけは別なのだ。激しい言葉の応酬に、どちらかが怒ってドアをバタン!と閉める音。数分後また出てきて始まる怒鳴り合い。

喧嘩の細かい内容までは聞こえない。壁に耳を当てれば聞こえると思うがさすがにそんな趣味はない。

でもある夏の日、窓を開けたまま喧嘩していた日があった。直接聞こえてくる凄まじい罵声とリアルな内容に私は気圧されながらも笑ってしまった。
喧嘩のタイトルが「トイレットペーパーを新しいものに替えておかないのは人でなし!」というものだったからだ。

確かにあれは嫌だ。自分の時になくなったペーパーは替えておくのが家族へのマナーである。なんなら「なくなりそう」な状態になったら替えておくというのが大人の気遣いというものだ。芯だけをペーパーホルダーに残しておくなど、言語道断である。

でもだからといって、あんなに喉から血が出そうな声で怒鳴るだろうか?

でもこうした不満というのは積み重ねであるから、何十回もペーパーがない状態を我慢した挙句、満を持しての爆発なのかもしれない。あるいは別の案件で少しずつ不満が溜まっていき、ついにコップから不満が怒りとなって溢れたきっかけがトイレットペーパーだったのかもしれない。

うちがこのマンションに引っ越してきた5年前から、この定期的な喧嘩は行われている。なんたるバイタリティーだろう。少なくとも5年間毎週のように罵り合う原動力はなんだろうと考えた。喧嘩したり自分の感情を思いきり出したりするのは、相手に期待して変わってくれるかもと思って諦めていない証拠だと、昔心理学の本で読んだ。

例えば我が家であのレベルの喧嘩をするときは、もう関係が終わる時だろうと思う。でも隣人夫婦は関係が続いている。すごい信頼関係だと思う。まだあなたを諦めない。私は僕は、まだまだあなたに期待している、ということなのか。

隣人夫婦はおそらく50代半ばで、大きくなった息子さんが一人いる。私たち家族と外で会えば普通に挨拶もする。そしてとても意外なことに、ご夫婦は仲が良さそうなのである。

エレベーターに乗り合わせたりすると「果たしてこんな感じの良い2人があんな激しい喧嘩をするだろうか?」と自分の耳と目が信じられなくなる。

ある時は、さっきまで罵りに罵りを重ねて声を枯らした旦那さんと、号泣しながら怒鳴り散らしていた奥さんが、2人で車で出かけた。1時間後に帰宅するとまた続きの罵声が聞こえてきたので、大喧嘩中に2人で出かけていたことになる。

私のような未熟者には理解し得ない関係である。

世の中にはあんなに口汚く罵っても、感情に任せて豪速球で怒りをぶつけても、関係を続けられる夫婦がいる。男女関係の深さを感じる隣人夫婦の喧嘩である。

こんなに喧嘩を聞かされているのにあまり迷惑と感じない理由は、うちの娘がイヤイヤ期の頃はもっとすごい声で長時間泣き叫んでいたからである。虐待を疑わないでくれただけでも、隣人夫婦には恩義がある。

そんな娘も今は4歳になり、大きな声で泣くことはあまりない。そのかわり「お隣さん、すごい大きな声でお話ししてるね」と窓を開けて大声で言うようになった。いやちょっと、聞こえちゃうわ!やはり隣人関係はお互いさまだ。

というわけで、夫婦のことは他人には分からないという深遠なことを考えた10連休である。

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