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私が3歳、弟が生まれたての頃、父親はカタールに赴任した。

親との物理的な距離って大事だったんだなぁと今更気付く。

父は私のことが大好きで(笑)、いつも実家では私を赤ちゃんのように扱ってきた。
母は酷く心配性で、隅々まで私の面倒を見たがった。どんなに疲れていても、具合が悪くても、昼夜と栄養満点のご飯を作ってくれた。テキトーに食べておいてって弟私にお願いしたっていいのに。

母は未だに、大学生の弟へお弁当を毎朝早く起きて作っている。
とても綺麗なお弁当を作るので、弟の友達内で話題になっているらしい。


母は天然なのかなとも思う。
私が3歳、弟が生まれたての頃、父親はカタールに赴任した。イラク戦争中、アメリカの支援をするため、日本の自衛官が応援に呼ばれたのだ。

私がもし妻だったら、気が狂いそうである。
子供が小さいのにそんなところ行かないでって。今のようにスマホが普及していない時代、連絡など取れなかったのではなかろうか。

父はパイロットである。アメリカ空軍で訓練を積んだ人である。
映画Top Gunの世界。まさに。
父の同業者で、訓練中に命を落とした人も数名いる。私の幼なじみのお父さんも、私が中学生の頃沖縄周辺でお亡くなりになった。ニュースで知った。

どうして平静を保っていられるの?と母に聞くと、
「パパは大丈夫だから。信じるしかないでしょ」とのこと。
細かいことを考えすぎない鈍感さと、迷いのない意見を常にもっているのが母の特徴である。

父の生きる環境はとても厳しいと思う。
ミスをしたら、一瞬の判断が命取りとなる。国のために働く。
仕事内容は国家機密なので詳細を家族には話さない。

ビービー弾を入れて打つオモチャの銃で弟と遊んでいた時、
「こらっ」とものすごい形相で父が近づいてきた。

あ、このオモチャは私たちの家ではNGなんだろうな、と身構えたとき、

「そんな撃ち方したら衝撃で胴体やられるだろ。腕をしっかり伸ばして構えるんだ」
と謎に銃の撃ち方を訂正させられた。


厳しすぎる環境にある仕事についているからか、
家では母に甘えっぱなしで、私のことは赤ちゃんのように扱い、弟とはあまり関わらない。

仕方ないんだと思う。人間どこかで手を抜かないとやっていけない。

父はずっと単身赴任で、家にいることは少なかった。
母はそんな父の分まで「親」を全うしようと、常に子供に手をかけ目をかけ、一生懸命にやってくれたな。

私がマレーシアの大学生になるまで、きっと親との距離が近すぎた。
私は親が敷いてくれるレールの上を歩いていただけだったので、
親が提示するその生き方しかないと思っていた。自分に対して疑問を持つこともなかった。
人生どんな選択をしたってその人次第でどうにでも出来ることとか、別に大卒にこだわらなくてもいいんだとか、音高を卒業したからって音大に進まなくてもいいとか。優秀じゃなくたって、いいんだとかね。
これしかない、訳じゃないのにね。これしかない、この道を外れたら死んでしまうとまで思っていた。

案外自分は思っている以上に強い人間なんだなとも、マレーシアで気付いた。結構打たれ強いです私。あと忍耐力とコツコツ作戦立てて勉強する力があると思います。
正直、一人になるまで自分のそのような良さや可能性に気付かなかったな。

「こうだ」「ああだ」と言われて、ああそうなのかなぁ~と思ってしまっていた自分とは、また全然違う自分に、私は気付くことが出来た。


マレーシア、たのしいなぁあああ~!

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