年末何するか

寒いし、日が暮れるのが早いし、やる気がないのもしょうがない。明日は冬至。明日を越えたらだんだん日が長くなっていく。去年は日が短いと落ち込んだりしたけど、今年はそれほどではない。すごく元気がいっぱいというわけではないが、落ち込んではない。穏やかに、活性が落ちている。同じことを何度も考える。ぼーっとしている。じっと手を見る。
寒い、確かに寒い。寒いが、今日の私は寒さが平気だった。ぞくっとしたり命の危険を感じて不機嫌になったりしなかった。周りの人は寒い寒いと口々に言っていたのに。もしかして私は寒さに強くなったのか。だが風呂に入った時にわかった。脱いでも脱いでも脱ぎ終わらない。下着を3枚着ていた。それで暖かかったのだ。ちゃんちゃん。ちゃんちゃんこ。

自転車に乗っていたにもかかわらず呼び止められて外国人に道を聞かれた。頭からマフラーを巻いていたのでイスラム圏の人だと思われたのかも。耳あてを持ってないのでバラクラバのようにマフラーをほっかむっている。寒い日の自転車は耳と手さえ守れれば、体は暑いくらいぽっかぽか。外国人男性2人はWhere is ⚪︎⚪︎と言っている。何か場所を聞かれている。shoppingという単語も聞こえる。⚪︎⚪︎の断片にドンとか聞こえてドンキホーテか!とわかった。道を渡ればドンキホーテがある。ドンキホーテの目の前でドンキホーテの場所を聞かれていた。指差してhere! here!yellow and black と言った。黄色と黒の文字で書かれているところだと言いたかったが、文字が出てこなかった。ともかく役に立ってよかった。余韻を噛み締めながら、あの場所の間隔ではhereよりthereと言った方がよかったのかな、文章にするならThere is. you can see it over street.とかかな。考えながら自転車を漕いだ。外国人に道を聞かれると、私は答えてくれそうな人に見られてるんだなと思えて嬉しい。


作家とあろうものならばクオリティにおいて妥協できない、そういう生き物であると適性があるのだろう。陶器の作家が作品に対して一切手が抜けなくて大変だとTwitterで言っているのを見て素敵だと感じた。一方私は妥協しかしない。いかにショートカットできるかを常に考え、できるだけ工数を少なく終わらせることに頭を使う。なんなら終わってなかったら、最後の仕上げを誤魔化すまである。作家とは逆の生き物だ。それはそれで鋼の心臓。

年末の用事が決まっていく。仕事終わりが25日なのに29日に予定ができてしまった。その間することがない。寒いしどうしよう。旅行にでも行こうか。自転車で遠乗りしようか。年末の慌ただしい時に県外の友人の実家に突撃しようか。
暇が怖い。特に寒くて暗い中の暇が怖い。しかし、あえて気が狂う日にしてもいい。去年読んだ「人は2000日連休を与えられるとどうなるのか」の本がとても面白かったが、その著者は暇すぎて、生まれてから現在に至るまで通過したコンテンツを全て書き出した。小さいころに見ていたアニメ、読んだ本、漫画、映画、聴いたCD、見ていたテレビ番組、全部。病院の待合室などで読んだ漫画も全部。気が狂いたい人にはおすすめ、らしい。それをやってみようか。私は一つ残らず私が今まで見てきたもので構成されている。
もしくは英語のドラマを繰り返し観る、をやってみようか。中国に留学していた友人がほんの3ヶ月で中国語がペラペラになっていた。何をしていたの?と聞いたら、暇だし友達もいないし、部屋に引きこもって中国のドラマを繰り返し5回くらい見ていたらしい。すごいが結構ギリギリの精神状態。そこに挑むか。
積読を消化するなんて、実現できるわけもない目標を掲げたところで。
教養とは自分1人で暇が潰せることであると中島らもが言っていた。その点、私には一般的な教養しかない。仕事がなくなると、何をしていいのかわからなくなって途方に暮れるだろう。土日でさえすることに困るのに。働いててちょうどいい。考えなくていい。凡人には凡人の幸せがある。
実家には30日に帰る。犬に会いたい。犬も私に会いたがっている。

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