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『どんぐり姉妹』、妹よりあねへ(いもうと)

あねへ


てんにちわー。
ごはん食べていますか。眠れていますか。できないかもしれないけれど、ごはんをひとくち口に入れてください。眠れなくても体は横たえて目を閉じてください。なんでもないことでも、なんでもいつでも、話したくなったら連絡してください。
あねはいつも姉の役割をこなしてきたから、妹の私に何か頼ることに慣れていないでしょうが(ま、2人暮らしのときは置いといて)、とりあえず私はここにいます。

久しぶりにあねに会うのが、3番目の甥とお別れするときになろうとは思ってもみませんでした。
いえ、具合がよくないことは聞いていたし、飛行機に乗るときには少しばかりの心の準備はあったけれど、それでも、こんなに急にいなくなってしまうとは、やはり思ってもみませんでした。

1年半ぶりに会う甥たちはずいぶんと大きくなっていた。久しぶりに会った叔母ちゃんのことを、たくさんかまってくれてありがとう。滞在中に見た彼らのかわいいところをメモしていたら、あっという間にページが埋まっていきました。あねと義兄から聞く甥たちのたくさんのエピソード、どれもとてもかわいい。
この世で3人の甥たちと会わせてくれてどうもありがとう。かわいいかわいい、大好きなだんご3兄弟。甥たちも、私と出会ってくれて本当にありがとう。3番目のだんごくんとは、しばし会えなくなりますが、いつか会えたときには久しぶりに会えて本当に嬉しいと、また会ってくれてありがとう、と伝えるべく、残りの何十年かを生きるべく、日々を紡いでいこうと思います。

これは往復書簡を始めたときに紹介しようかな、と思っていた本です。とてもとても、よしもとばなな。

交通事故で両親を失い、その後共に暮らしてきた祖父を亡くした姉妹が始めたのは、インターネットの向こうから送られてくる誰かとのメールの交換「どんぐり姉妹」。誰かの言葉を受け止めて、そうっと投げ返す。短く、他愛なく、柔らかく。

——その人たちの生活にたわいのない会話が足りなすぎることだけをおぎなう役割。
 みんなたわいない会話を交わしたくてしかたないのに、一人暮らしでできなかったり、家族の生活時間帯がばらばらだったり、意味あることだけを話そうとして疲れていたり。人々はたわいない会話がどんなに命を支えているかに無自覚すぎるのだ。

それを始めることを提案した姉(どん子)は妹(ぐり子)に言う。

「人は、なにか人のために仕事をするべきだと思うの。なんでもいいけど、なにかしら、そういうことをしていたほうが健全だと思うんだ。おじいちゃんを介護して、それが終わって……そのことで、いろんなものを、私たち受け取ったよね。まあ、言葉にすると違っちゃうけれど、お金とか、家とかだけではないもの。つまり愛を。それをなにかで負担なく神様にかえしていける仕事はなにかな、って考えて、ふたりの才能を生かしてできることを考えたんだけれど。」

姉のこの発想や、自分たちの関係を「あまり他の人と分かち合えない、小さい頃の思い出を共有するためだけの仲間」と表現するところ、なんとなく私たち姉妹と似ているような気がして。

溢れんばかりの、つまり愛を、たくさんもらった。甥たちからも、あねからも、亡き父からも、たくさんの人から。もらった人に返したいけれど、きっと返しきれない分は誰かにそっと回していく。太い線や細い線でぐるぐると、こちらもあちらも繋がって、世界はある。
あの子が愛して、その小さな手で世界と繋いだ線を見せてもらった。大好きなおとうさんとおかあさんとにいさんたち。看護師さんたち、お医者さんたち、病院で出会った子どもや親たち。新幹線、だいすけお兄さん、アンパンマン。さらにまた、あの子が愛した人々を愛する人たちをゆるく繋ぐ。そうやって波紋のように、あの子の残した愛情が広がっていく。
あの子の命は、日々の姿は、あの子と出会った人たちに愛しく柔らかく切なく思い出されていく。もう頬に触れられないことはとても寂しいけれど、これからは、そういうふうに、いないけど確かにいる。思い出す度にあちらとこちらの境界線など、ふわふわと溶かしてあの子はいる。父はいる。

次に会うのは、年末になるでしょうか。指折り数えて待っています。
1、2、……かぞえてーんぐ。


いもうと。


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