見出し画像

「窓ぎわのトットちゃん」(いもうと)

気持ちを言葉にする作業!
私はずっと、いつも、書けば書くほどわからなくなっていく気がしています。言葉を尽くそうと思って書くのに、どんどん輪郭がぼやけてしまう。言葉はいつも私の先を走り、私が追いついたと思うと気持ちを見失う。私の中にあるものを原稿用紙の上に確かに再構築できたという実感はまるでなくて、これでいいのかいつも不安。
ただ単に、文章を書くのが下手なのだけど、それこそ私は「言葉に頼りすぎている」故に、自分のぼんやりとした気持ちをぼんやりさせたままで書き始めるからなんだろうな。そして、書いているうちに固まってくるわけでもなく。
提出したり、投稿ボタンを押してから気づく。ああ、あれはこう書くべきだった、ああ書くべきだった。

小論文、大の苦手だった!ものごとに白黒はっきりつけるというのが苦手なのだと思う。賛成も反対もありだと思うなあ…みたいな、ふんわりしたどっちつかずの文章ばかり書いて、指導してくれる先生に怒られていた。これ何が書いてあるの?何を言いたいの?って。あねにも怒られたね…小学生以来でした、あねにゴリゴリと赤で添削されるの。よく小論文で大学に入れたな、と思います。
レポートも上手じゃなかった。単位は取れたけど、先生に「君の文章はねえ、読み物であってレポートじゃないんだよねえ」って毎度言われていた。しかし単位取れてるならいっか、と思っていた…不真面目…。
そうだ、私、文章を書くの、全然上手じゃない。
手紙も苦手だな…何を書いていいかわからなくなってくるんだよね。え、こんなこと書いていい?つまらなくない?失礼じゃない?余計なことばかり考えてぐるぐるしてる。

私はぼんやりしてぐるぐるしているのだな、というのがこの往復書簡を通しての私の気づきです。しょうもないねえ。しょうもないけどあねに書くんだしいっか、ということで、多分これからもぐるぐるします。書いていくうちに、もしかしたら少しくらいは、上達するでしょう。


さて何でも私からテーマを上げていいよ、というあねの言葉に、私はまるで校長先生の前のトットちゃんな気持ちです。「さあ、なんでも、先生に話してごらん。話したいこと、全部」。
なのでトットちゃんのことを書こう。

私の手元にある「窓ぎわのトットちゃん」は、地元の図書館の近くにあった、いまはない古本屋であねと一緒に買ったもの。小口は茶色く変色して、カバーもよれているし、ページにシミもある。鼻を埋めると古い本の匂いがするけれど、トットちゃんの日々はひとつも色褪せない。黒柳徹子さんの文章が読点多めなのは、「話す人」の書く文章だからなのだろうな。息継ぎとリズム。
海のものと山のものが入ったお弁当、体育館いっぱいに白墨で描く音符、泰明ちゃんとの木登り、ご不浄をさらって財布を探したこと、校長先生が何度も何度もトットちゃんに繰り返した「君は、本当は、いい子なんだよ!」という言葉。
わりと早熟な子どもだったので、周りにはいい子だと思われていただろうけれど、私自身は自分の中にどす黒い、残酷な、情けない気持ちがあることも、もうわかっていた。全然いい子なんかじゃない、と思っていた。素行が悪くないからいい子に見える本当は悪い子よりも、好奇心旺盛すぎて危なっかしくて、心配をかけるけど本当はいい子、の方がよほどいいじゃないか、と思っていた。
校長先生に出会えていたら、私、もう少し楽になれたかな、と思う。話を聞いてくださるだろう。そうしたらどんな言葉をかけてくださるだろう。私も誰かに救われたかった。

タイポスという書体を初めて見たのも「窓ぎわのトットちゃん」だった。魔法の世界のようなファンタジーではない、でも現実からは少し遠いところにある、やさしくて美しい、けれど悲しみも確かに潜んでいる日々を書き表すのに、ぴったりだと思った。

この書体について、正木香子の「文字の食卓」から引用するね。

〈タイポス〉のようなデザイン性の高い書体が長文につかわれるのもきわめて稀なことで、そのせいか、ページをひらいた瞬間にまず「あれ?」と思う。それは知らない香りを嗅いだときのような、記憶の内側でおこるあまりにわずかな変化なので、自分自身、何に対するとまどいなのかよくわからない。
 しかしそのふしぎな違和感は、他の子供と同じようにできない、好奇心旺盛な少女のそれと自然に重なりあっていく。

「文字の食卓」正木香子 本の雑誌社2013、「スパイスの文字・タイポス」52pより

全編をスパイスで綴られたこの本は、まったく子どもの中の子どもといえるような真っ直ぐなトットちゃんは、鮮やかな香りを放って、子ども時代を否が応にも思い起こさせる。誰かに守られていても、楽しいことと悲しいことと、誇りと尊厳と、未知と無知の中で、心細くて必死で生きていること。子どもって、ちゃんと聞いて考えて、そして覚えている。その子を抱きしめたまま大人になる。
新学期の朝、春の日差し。あたらしい教科書。削りたての鉛筆。同級生の背中がみるみるうちに小さくなる50メートル走。手書きの図書貸出カード。開校40周年の歌。あの古い家の、二段ベッド。

本当は大人になどなっていないのかもしれない。ただ、タイポスの似合う日々から、私は遠く遠くあるだけで。



この記事が参加している募集

#読書感想文

192,058件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?