見出し画像

諦めるとは明らかにすること 諦観のススメ

ドラマ『病室で念仏を唱えないでください』で、医者兼僧侶の主人公のセリフに「諦めろ!」というものがある。そして、「仏教では”諦める”は明らかにすることだ」と続く。

”諦める”は漢和辞典によると、”つまびらかにする。いろいろ観察をまとめて、真相をはっきりさせる。”などの意味があり、仏教では諦観(ていかん)といって、覚りにつながる一つの道として、ネガティブではなくポジティブな意味で使われる。

ドラマでは、手術の甲斐なく幼児が亡くなってしまい、そのことを気に病んだ医師がトラウマにより手術ができなくなってしまう。その医師に主人公が「諦めろ」と声をかけ、亡くなった幼児が生前にやりたがっていた砂場遊びに誘って、二人で黙々と砂を堀って山を作り固める。その作業の最中に主人公がくだんの医師に「悲しいな〜」と声をかける。なんどもなんども「悲しいな〜」と。

これは、手術の失敗によって生じた自分の気持ちをごまかさずに、そのまま受けとめろということを伝えているのだ。

手術はうまくいったが、術後の急変は予期できなかった。運が悪かったのだと自分を言い聞かせる医師。でも、幼い子を助けることができなかった悲しみ。親御さんへの申し訳なさ。自分のキャリアが傷つくことへの恐怖など、彼の心にはさまざまな思いがうごめき、それを処理できずに苦しんでいる。

主人公はその複雑に入り組んだ思いをうまく処理しようとせずに、そのまま複雑なまま受け止めろと伝えたかったのだと思う。胸にうごめく思いの意味なんか考えなくてもいい。どういう思いなのか名前をつけることもしなくていい。ただ、思いを受け止める。悲しければ悲しめばいい。悔しければ悔しがればいい。怖ければ怖がればいい。これは、マインドフルネスでいう、”あるがまま”である。

そうやって自分に”あるがまま”に向き合っていると、徐々に気持ちが明らかになってくる。だから諦めろと主人公は言うのだ。諦めることは悪いことではない。本当の意味ではね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?