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紙の舟 ep.9

僕は親戚の縁で、パチンコ店と焼肉店、そして同じ建物にある喫茶店を任されていた。
社長は顔を出すのだが、用事が忙しいようでほとんど会社にはいない。必然的に仕事は僕に任されることになる。
簡単な仕事だからと言っていたが、やることばかり多くて一つ一つの責任など取れる筈もない。
仕事は社長に報告することで責任は社長に、それぞれの役割は店長と主任に任せる事で、僕の仕事はそれぞれの間を走り回り、仕事をしやすくするのが仕事と言えば仕事と言える。
仕事は相手を信用し、任せる事でいい仕事をしてくれる。
そんな毎日の僕の日課とは、朝、家を出て店を開け、パチンコでは店の金の準備と店に金を入れ、掃除と朝礼の立ち合い。ホールとカウンターを手伝った後二階にある焼肉店の準備に入る。そして喫茶店で必要とあれば手伝いもする。事務所に戻れば書類の整理と確認などに追われ、忙しい店舗では手伝いとして従業員と一緒に走り回り、夜の終礼の後集金と計算。パチンコではデーターを見て釘打ちをする。
朝八時に家を出て家に戻るのは、午前の二時で、その間家で夕食を取り仮眠をして店に戻るという日課だ。
地域では遊ぶ場所も種類も少ないこともあり店は正月から営業するので、一年を通じて気楽に休めるということはない。特にパチンコは色々な人が来るので店内では客同士の喧嘩もあり、時には従業員を挟んでの喧嘩もある。ヤクザも出入りするので緊張して店に立つことも多い。球の補給関係、パソコンのトラブルもあるので目が離せないのだ。だから個人的な趣味があっても、それを楽しむことは難しい。
最初は戸惑ったが馴れとは恐ろしいもので、どんなことがあっても慌てる事は無くなった。
だから、時間の流れに疎くなっても、都会には亡くなった四季の移ろいも道端の花で季節を感じたり、時たま見える星の数を確認することで心が和むことができる。
忙しい時には、繁華街にあるこの店の前に群れる人々の吐息に景気の良しあしも感じることができる。
1985年のプラザ合意*以降、一時へたった経済も公共投資の拡大や公定歩合の引き下げ等金融緩和を続けており、景気観は上昇している。だからおかげで店も忙しいのだ。
忙しさが続くと、毎日が連続していて月も日も曜日も頭に収まらなくなる。
だが、店の前に立つと景気が見えるのだ。とくに日曜日には、それが良く見える。
この街の特徴は、外国人が多いことだ。景気が良い事で海外から働きに来る人が増えた。そして店前の通りに溢れる雑音は外国語で満ちている。この間まではフイリッビンの人たちで一杯だったし、最近ではイラン系の人でにぎやかなものだ。だから通りに立つと、自分はどこか外国の通りに立っているとしか思えなくなる。そして店内にも外国人の客と、そして従業員も在日朝鮮人、カウンターには中国人も立っている。
日本も国際的になった。しかし、その中身は不足する労働力の補完でしかない。
 
パチンコの営業は、ホールもカウンターも特に変化はなく、江も仕事が馴れたようで、季節も暑い夏を乗り切り秋の話題がニュースに載るようになって来ていた。
いつものように朝礼を終え、ふとカウンターを覗くと、奥のホールコンピューターの表示板の上に白い紙の造作物が見えた。見に行くと折り紙で作った舟だった。
カウンターの従業員に訊ずねると、江が作って置いていったという。
小さな手折りの舟、そんな紙の舟は周りに何もないこともあり、目立つわけではないがすぐ目に止まる。
その日の一日はこの紙の舟で始まった。
夕方、ホールの雑踏が落ち着いたころホールを覗いてみた。
カウンターでは江とホール係の竹本が掛け合いをやっていた。
「竹本さん、足短いね。」と江が言う。
「うるせえ、これで不便はないわい。それがどうした。」と竹本が言い返す。
「でも、やっぱり短いよ。」と江はしつこく食い下がる。
すると横からカウンターの同僚の熊木が助け舟を出す。
「江さん、ちゃんと聞いて。あのね、日本人というのはみんな、足が短いのよ。」
ちょっと待て、日本人みんなと言うと、確かに僕も足は短い。東京オリンピックでもバレーの東洋も魔女も外人に比べて足は短かった事は脳裏に刻まれている。だが、今の若者は背も高く足も長い。だから熊木の釈明は説明になっていない。
カウンターでは周りのみんなを巻き込み大笑いになっていた。僕も笑った。職場の雰囲気としては、こんなものだろうという安心感もあった。
笑いながら、先日のことを思い出していた。
それは、店になにか事故、事件があった時の対処をカウンターで話していた時のことだ。
カウンターでの対応は、上司の指示でまずお客様が安全に外に出るよう、落ち着いてマイク案内をする事などを話していたのだが、最後に自分たちを安全に非難させてくれるのかということだった。僕が避難場所に案内をするというと、江が、早瀬さんは外人にはどうするのかという質問だった。
「俺はどんな時でも分け隔てなく対応する。特別に便宜を払うことなどしない。俺はそんなケツの穴の小さい人間じゃない。」と言うと、江は復唱して言ってきた。
「早瀬さん。ケツの穴って、お尻の穴?」
「うん、そうだ。それがどうした。」
「何でお尻の穴なの。」
自分で言って反省したが、ケツの穴を説明する手段が分からない。説明しても相当の時間を必要とすることが予想されるので、僕はそのまま引き下がることにした。
ホールを一巡してカウンターに入り、ホールコンピューターでデーターを見ていた。
目の前には紙の舟がある。
江を傍に呼んだ。
「紙の手折りでは千羽鶴は僕でもできるが、舟は初めて見た。江さんが折ったのか。」
「うん。でも気に食わなかったら捨てていいよ。」
「いや、置いておくよ。ちょっとしたマスコットになるよ。」
僕はその小さな紙の舟を見ながら、どんな気持ちで江が折ったのか考えていた。
日本海の荒波に揺られて浮かぶ紙の舟、江の気持ちなのではないかとその時感じていた。
暫くカウンターでは接客で忙しく対応していたが、客足も途絶えてから、江が僕が立っているホールコンピューターの前に来た。
「早瀬さんにお願いがあるの。」と、神妙だった。
「私、勉強したい。先生やっていて、もっともっと勉強したかった。日本に来て、やっぱり勉強したいと思った。早瀬さん大学を出てる。だから大学沢山知っていると思う。私、大学院行きたい。どこか良い大学教えてほしい。」
勉強したい気持ちは分かる。が、その費用も考えなければならないだろう。
「大学院って、カネもかかるよ。」
「うん、でも何とかなる。大学院行くのに勉強もするよ。だから大学院、探してほしいの。」
僕には嫌とは言えなかった。俺はケツの穴の小さな人間じゃない。でも、どうやって探すのか。
僕は次の日から、大学の所在住所と受付の電話番号を探す仕事が加わった。
まず、東京大学から始めた。
受験日と受験のために準備する内容等細かく聞いた。次は筑波大学、東京の六大学、女子大学と問い合わせ先は膨らんでいった。
電話で問い合わせをする中で分かった事は、何を専門とするのかの目的と、受験学部の担当教授へ受験者を紹介してもらえる人、そんな紹介教授の必要だった。
そのような中で、大学や学部の担当教授を紹介してくれる人がいて、その人の紹介で四国の大学の先生に電話をかけた。大学院の受験には前向きに立ち会うという、かなり良い返事だった。
翌日、江にその話をすると、まず四国は何処か、一人で行くには遠くて不安だという。
僕の電話掛けは、それからもなお、毎日の作業だった。
昼間は大学の受付。夜は事務員もいないので、教授なり大学院関係のめぼしい人に具体的に話を聞くことができる。
そんな作業を十日ほどつづけていた。それでも良い話にはたどり着けないでいた。
探し疲れていた時、ふと一人の先生の名前が頭をよぎった。
小沢有作。都立大の先生だ。
以前読んだ本で、素晴らしい人がいると感動した事のある大学教授だ。
他民族の文化、教育を人間の基本的人権と考え、政府に堂々と意見具申をする人でもある。
僕も、かって朝鮮学校への支援のパンフに小沢先生のコメントをを紹介したことはあるが、本人には会った事も話をしたこともない。
理数系の大学院希望者を、人文系の教授に紹介する不思議さは、その時にはもう頭になかった。
僕は早速、都立大学に電話を入れた

*プラザ合意:先進5か国財務大臣・中央銀行総裁会議により発表された、対米貿易黒字の削減の合意の通称


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