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紙の舟 ep.7

しかし、彼女の反応は芳ばしくなかった。
「早瀬さんは知らないのよ。今の中国の若い幹部や官僚、昔紅衛兵だった人たちよ。あのひとたち政治だけ、それもゴリゴリの頭固い人たちよ。経済のこと何も知らない。それに中国共産党、皆労働者、農民出身ね。知識ない人たちばかりね。何もできないよ。」彼女はきっぱりと言った。
そういえば一度、彼女は「自分は知識人だ。」と言っていたことがある。
中国では知識人は知識人階級として冷遇されており、どんなに頑張っても先が知れている。だから知識人は中国を出たがっているという。
そんな彼女から見た中国共産党と労働者、農民階級への見解は、僕にはちょっとした驚きだった。そこには非和解的な階級敵が共存している不思議さがあった。非知識人階級が知識人階級を隷属せしめているという奇妙さではなく、知識人が隔離された専門職になっている封建的様相にある。
「情報」として考えると、日本でもそうだが、情報(知識人)が専門職に集中している。情報(知識)とは独占物ではなく、普遍化されてはじめて意味を持つだろう。今の日本でも同じで、医学にしても教育にしても専門の独占物となっている。ただ中国よりはまだ良いという、程度の問題だ。中国では国家の独占物であり、日本では企業のという違いはある。ただし情報(知識)の多寡がその質を保証するわけではないことは、洋の東西を問わず同じだが。
ところで中国のように、知識を得ることによって階級的に排除されるというのは、共産主義の理念に照らしても矢張りおかしい。
また、江は企業活動についてこんなことを僕に訊ねた。
「早瀬さん、ここの社長、この仕事の内容分かっているの?社長が会社を大きくしたの?」
最初何のことか分からず、仕事の内容に関しては僕たちがやっており、社長は社長職としての役割を担っていると一般的・抽象的に答えた。
すると彼女は、「中国の工場長、何も知らないね。自分の工場で何を作っているのかも知らない人いるよ。皆、政治をやる人が中央から廻されてくる。あの人たち、仕事の内容何も知らないの。本当よ。」と言う。
この現状に即して考えると、先の僕の見解は楽天的に過ぎるかも知れない。だが、最後の相対的力関係の変化は確かだろう。
「私、政治のこと良く分からない。早瀬さん色々聞くから言うけど、私、本当は怖いの。私の家、他と違うのよ。オジイサン国民党に関係していた。だから今まで大変だったの。」彼女はその後で、「私の、特別なの。」と言ってきた。
どのように特別に偉いのかと思い「お父さん、何しているの。」と聞くと、暫く間を置いて「工場の労働者。」とだけ答えた。そこで彼女は何かを言いたいのだが、言葉となって出ては来なかった。
知識人階級の立場と国民党、更に工場の労働者という言う一連の口吻に、彼女の置かれている立場が垣間見える。そのことが、今の彼女をより孤独にしているようだ。
僕は、六月四日のことや民主化運動のことをあれこれ聞くのはよそうと思った。
それよりも、独りの彼女に少しでも友人を作ってあげようと心に決めた。


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