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ぼくとおじさんと - 僕と文乃の一日

番外編⑤ 僕と文乃の一日 ep.4

僕はソファーの縁に座った文乃に声をかけた。
眠たいようなうつろな気分で、横にいる文乃の耳元に口を寄せてつぶやくように
「なあ、フミよ。オジサンたちの話もいいけど、僕の話も聞いてくれよ。僕は今日、フミに店の話でもしようと思っていたんだ。」
「店の話って、なに?」
びっくりしたように聞き返してくる。
「店で客と話をしているとさぁ、酒とかいろいろ商品の説明を聞かれるだろう。酒の事が多かったので、この間調べて酒の事で少しまとめてみたんだ。今度見てよ。」
「あら、いいわね。今日帰ったら見せて。お酒と言ったら発酵食品ね。私も今、発酵製品や東洋医学の漢方を調べているのよ。どちらも健康製品としてとして生活や健康に関わるものだから、今の研究のもう一つの視点に必要だと思っているの。」
「そうだなぁ。確かに酒の事を調べると、どうしても発酵というものを調べなければならなくなるんだ。面白くなりそうだね。」
「お酒と言ったら、安堂のおじさんは以前、蔵元のコンサルもやっていて文書も出したと言うこと聞いているから、後でおじさんに聞いてみましょうよ。」
文乃は嬉しそうに僕の話に相づちを打つ。喜ぶのはうれしいが、また安堂のおじさんが出てくると話がもっと長引きそうだ。僕はちょっと気が引けた。
帰ってから、僕らの時間の楽しみに酒を飲みながらこの話をしようと思っている。
「おっ、もう夕方だな。電気をつけようか。」
寝そべっていた安堂のおじさんが起き上がり、隆俊おじさんをまたいて電気のスイッチを押しに歩く。
薄暗かった部屋に明かりがともった。
安堂のおじさんが一升瓶を持ち上げ残りを確かめている。残りをどこまで時間をかけて呑むのだろうか。眉を寄せ、少し不安な様子だ。食事をするまでの時間の計算をしているのか、柱時計をのぞき込む。
文乃が安堂のおじさんに話しかけた。
「おじさん、お酒や発酵に詳しいでしょう。武志がおじさんとお酒の事で話したいんだって。」
ちょっと待て。僕はおじさんと話したいのではなく、文乃と話したいんだ。
文乃が続ける。
「私も仕事の上で発酵には興味があるの。いいでしょう。」
安堂のおじさんは嬉しそうだ。
「ああ、いいよ。いくらでも話してあげる。若い人と話ができるのなら、いくらでも話してあげる。だが今日は、そんなに時間がないのだ。さっき電話で、家内が調子悪いと娘から電話があったからね。」
おじさんたちの長い話を考えて緊張していた僕は、ちょっと気が抜けた。うれしいような悲しいような。
話が短ければそれでよいのだが、家でも文乃の膝枕というのは経験したことが無かったので、ここで少しでもおじさんたちの前で文乃の暖かさを感じながら休める楽しみがなくなったのは残念だ。
「さっきの電話、娘さんからでしたのね。それじゃ心配ですね。」
文乃が安堂のおじさんに同情する。
「隆俊の話だけは聞いてあげようよ。年寄りは若い人と話す機会がないから。特にフミちゃんが一生懸命聞いてくれるんじゃ、どんな話でもいい、聞いてあげなくちゃ。こいつはタミちゃんと話をしたっきり女性と話をしたことが無いからな。」
亡くなった多美恵おばさんの話が出てきた。
すると、それまで横になっていた隆俊おじさんがむくっと起き上がり安堂のおじさんに向き合った。
「女性と話したことが無いとは大げさな。塾でも飲み屋でも女性には優しく話はしますよ。
ここで多美恵の話が出てくるとは意外だ。ただ、多美恵で思い出したが、いつもそうだが特に最近は時間の大切さをしみじみと感じる。
文ちゃんも武志も知っている通り、安堂さんは癌の施術以降きつい抗がん剤を吞んでいるのだが、年寄りというのは明日も知れない命なんで、俺も年寄りで同じだが、他人に自分の考えや話をするのはこの時しかないという気持ちでいつも話をしている。
特に次の時代を担う若者には、そんな気持ちで少しでも知りえた情報や考えを伝えたいと思って話をしている。だが、なかなかそんな機会はないからな。
安堂さんも昔は色々な論文を出して世間では認めてもらっていたが、今は安易でおかしなことしか報道しない時代になってしまい、俺たちは用仕舞いになっている。
これから大変な時代への大きな曲がり角に立っているという思いの俺たちにとって、思いが伝えられないのが一番苦しい。
安堂さんは、年寄りが若者にがみがみ言っても誰も聞かないからと、インターネットのコラムで若者向けの小論を書いているんだがね、俺も今日、こうして寄ってくれたフミちゃんたちに話ができるのは千載一遇のチャンスだと思って話をしている。武志は分からないだろうが、フミちゃんなら分かってくれているからな。」
また、なんで僕が省かれるのか分からないが、確かに文乃は真剣に聞いていた。
それは、文乃にとって年寄りには後がないという生物学的な視点での対応なのだろうか。今聞いておかなければ、もうその話も聞けなくなるという現実が、確かに目の前にある。
隆俊おじさんが愛妻の多美恵おばさんと過ごした短い「時間」の事を思い出す。
それは、文乃が以前話してくれた重病で死を意識した作家が、随想で「たとえ一年でも三日でさえも未来は未来だ」と書き残した言葉への文乃の感想だった。
「死なんて誰も予測できないし考えても分からないでしょうね。自分にとって死んだあとが未来だとしても、残された私たちにとってその未来とは私たちの現実なのね。」という言葉を思い出した。未来につなげる言葉をおじさんたちはつむごうとしているのかもしれない。

安堂のおじさんがぼそぼそと話し始めた。
「我々の世代と若い人とでは話す言葉の意味も世界観も違うのかもしれないよな。
ただ、おなじ言葉を話し、理解してもらうために我々がしなければならないのは唯一、気持ちを通じさせる事これ以外にないだろうな。理屈は後からでもついてくるからな。
ただ、そんなお思いが募る中で俺が頭に来ているのは、そもそも理屈が通じない、論理も減ったくれもない片面の情報を有難たがっている風潮だ。俺はもう、辟易している。囃しているマスコミもテレビも同じようなことしかやっちゃいない。ありゃ何じゃい。一方通行の戦前の言論統制の世界じゃないか。」
最初は静かに、穏やかに話し始めた安堂のおじさんだが、すぐに激昂始めた。
年寄りの特性なのか、おじさんの個性なのか、家で床に臥せているおじさんの奥さんの心労を感じる。最も女性は強いから、おじさんは奥さんの手の中で咆哮しているだけなのかもしれないのだが。
「したがってだ、今日は隆俊の話を最後にして俺の話は次回にする。その時は、武志とフミちゃんの話を聞こうや。隆俊、分かってるな。短く話せ。」
隆俊おじさんは癖なのか、頭をかきながら口をもごもごさせて話始める言葉を選んでいるようだ。
「隆俊の言うように、俺たちはいつ死んでもいい齢だ。だから若い人に伝えたいことはたくさんある。
ただ俺は焦ってはいない。いつ死んでもいいと思っている。
若い人も馬鹿じゃない。俺の考えている事、思っていることを考えている人はいると思う。そして、行動する人が必ず出てくると思う。
だから俺は焦らない。焦ってもしょうがない。
こんな世の中、変だと思う人は必ずいるし、必ず世の中が変わると思う。
それが歴史だし、そんな人間は必ずいる。最も、そんな人間は日本人でないかもしれないがね。
俺は、考えたり話したりするのは自分との対話で、自己確認のつもりで楽しく色々考えているだけだよ。
年を取るとボケるというが、それは俗説で、年を取ると余計頭が冴えるものだ。
ただ、記憶力の低下や時間がやたら早く感じることは、悲しいことに俺の実感する事実だ。
だからと言って、老人だからと若者と話ができないと言うことを嘆きはしないよ。
ただひたすら、自分の道を毎日歩いていくだけだ。
もし俺が百姓だったら、明日、この世界が無くなることが分かっていても、普段のように大根の畝の除草をし、白菜を切り出して夕食の献立を考えながらいつものように体を動かしているだろう。」
安堂のおじさんは空を見る様に話しかけている。それは何かを悟ったような厳かで、そして心なしか寂しそうな表情にも見えた。
僕の横にいる文乃の体が小刻みに震えているのが分かった。
顔は見えないが、安堂のおじさんを見続けている。
僕は、安堂のおじさんの話と言葉は、乾いた心の一滴の水足しにはなるが、そして難しい話は頭の栄養にはなるけれど、心は乾いたままだ。
僕の心の中にはいつも文乃がいる。
文乃を幸せにすることが僕の使命だが、理屈で彼女を幸せにすることはできないだろう。
隆俊おじさんが話し始めた。
「せっかく憲法の話が出て、多くの人に憲法の事を考えてもらいたいのだが、憲法を取り巻く状況と、戦後から今日に至る状況を説明しなければ、なにを守らなければならないのかが見えてこないと思っている。
かいつまんで話が出来ることじゃないが、安堂さんの言うように簡単に、と言っても簡単が一番難しいのだが、話をしようか。
明治憲法は、当時300もの諸侯が入り乱れていたプロイセンがビスマルクによって統一されたドイツを手本に作られた憲法で、徳川時代から続く300近くの藩があった当時の日本が望むものとしての位置づけがあった。
憲法の前文を読めばその違いが良くわかる。
まず、天皇から始まる「欽定憲法」と戦後の憲法の「民主憲法」の違い。
主権が天皇にあることと国民にあることの違いは大きい。それは「人権」が天皇から授かったものから、戦後憲法ではいかなる国家権力によっても侵されない永久の権利として補償されていることにある。
明治憲法と日本国憲法の違いは、明治期の国の在り方作り方と戦後世界が戦争のない平和な国造りという世界の共通の思いで作られた憲法の違いとしてあるわけで、この違いは際立っていると言える。
つまり、世界の人が望む理想の国づくりをわれわれが作り上げるという使命が与えられた憲法なんだよね。
だから、憲法というものはその国のすべての法律の上に立つもので、行政、立法、司法は、その憲法の目指す国づくりのルールに従わなければならない訳だ。
そこでだ、日本国憲法では国民とは言うが国民は日本人であるとは言ってないことに注意してほしい。
だから憲法第10条で、わざわざ「日本国民たる要件は、法律でこれを定める。」と明記しているのだが、1946年に日本国憲法が出来て1947年5月3日施工され、1950年に国籍法が出来て初めて国民イコール日本人とした訳で、以来この考え方出来ているのだが、誰もおかしいと思わないのかな。国民が日本人だと言うこと。」
「だって、日本人だから日本国民で良いんじゃないですか。」
僕は思わず声を出してしまった。
「日本という国名を出して、国民という言い方をしているが、それだけで日本人と言い切っていないところ、そしてあえて日本国民たる要件と言い添えていることに関心を持ってもらいたいのだが、わが国全土にわたってと国土領域を言い、なおかつそこに住む人は日本人だけでないことを意味していることを考えなければならないだろう。だからあえて国民の要件を条文で協調しているんだ。
つまり国籍法で協調している日本人だけでなく、日本国土にはそれ以外の人も住んで生活しているからな。
日本国憲法は日本人以外の存在を保護の対象として認める、国際的、国際法上の意味を持つ、たぐいまれな憲法なんだ。日本国という言い方で紛らわしいかもしれないが、日本国土という地域概念の上での国際法という内容を持った憲法だと言うことを理解しなければこの憲法を読んだことにならないのだ。」
隆俊おじさんは話を切って、コップに酒を注ぎこむ。
僕にも注いでほしかったのだが、おじさんはいつ出したのか手前のおしんこを口に頬張るだけで、一升瓶をそのまま床に置いてしまった。
僕に気が回らないのは、酒の残りが少ないので自分のそばに置いておこうという思いの現れなのかもしれない。
「日本人と外国人の関係で言えば、外国人に与えられる永住権も数年ごとのチェックが入るのだが、権利と呼ばれるものが当局の許可制というのもおかしいと思わないか。
本来の永住権を持つためには帰化しなければならない、すなわち明治以降の同化政策で、日本人にならなければ権利を受けられないと言うことだ。
武志、どう思う。」
また僕にお鉢が回ってきた。
日本国憲法だから日本人の憲法と普通は思っているのだが、おじさんの説明は少し違うようだ。
「日本国という言葉で日本を強調しているようだが、戦後世界は人間が戦争もなく生きる権利が保障され、戦争のない軍隊のない平和な世界を作るために日本に期待を込めてできたのが日本という国に作られた憲法なんだ。
その意味では理想の憲法で、戦争もなく平和に生きる命の保証のできる国づくりを日本国に生きる我々に課せられた、そんな憲法なのだと理解しなければならないだろう。」
文乃がおじさんに聞き返す。
「理想的な憲法ですが、戦時下占領されている国の立法権は有効なのでしょうか。つまり、国際法上、敗戦処理理における法の有効性ですよね。
戦後色々な国が入ってきて、国連軍としてGHQや極東委員など戦後日本の復興、再建に向けて色々なことをしてくれたと思うのです。他国の、善良な人によって作られた理想的な憲法ですが、占領・統治下での立法権というのは有効なのでしょうか。
昔、学校でそんな話があったことが頭にあったのですが。」
文乃の言っているようなことは僕の脳裏にはない。戦後マッカーサーが来て、東京裁判で戦後処理をして、憲法が出来てサンフランシスコ条約で日本の戦後処理が出来たという風に僕は理解していた。
そうそう、戦後できた憲法は押し付け憲法だという意見もあったっけ。
「確かに戦後の混乱期に出来た憲法に対して学者や専門家は色々な意見や見解を述べている。
『ポツダム宣言では憲法改正まで要求していない。』とか『バーグ陸戦条約などの戦時国際法では占領軍は被占領地の現行法を尊重すべき』等々様々な意見が出てくる。
無条件降伏という特殊性を置いても、例えばポツダム宣言では『平和的傾向を有する責任ある政府の確立と、日本国民の自由に表明する意志』により決定されたものを尊重するということでこの戦後80年たった今、戦争もせず平和に過ごすことが出来たのはこの憲法のおかげだと言うことを知らなければならない。」
隆俊おじさんは、ちらっと安堂のおじさんを見る。
もっと話したいのだが時間を気にしているようだ。娘さんからの電話、奥さんのことが気になるようだ。
安堂のおじさんは笑っている。
「色々話したいのだが、それは次回に回すことにする。」
隆俊おじさんがコップを口に持っていくと安堂のおじさんが一升瓶の酒を注ぎこみ、自分は一升瓶を逆さにして残りを飲み込み、ドンと瓶を床に置いて口を袖で拭いている。
「俺は、これからバスで帰るが、若い二人はこれから青春を楽しんでくれ。
今日は、若い二人の笑顔のエネルギーをもらえた。家内にも話しておくよ。ありがとう。」
安堂のおじさんは、そのままそそくさと玄関に向かい外に出てしまった。
取り残されたような3人は、静寂の流れに歯向かうようにまず僕が立ち上がり、大きく背伸びをして文乃の手を引いた。
「おじさま、帰ります。」
文乃の短い挨拶に隆俊おじさんは微笑んで手を振ってくれた。
ドアのかすかな軋みが僕と文乃の後ろに響く。行く手に影を落とす夕闇に、かすかに僕たちの若さが買っているような気がして文乃の手を強く握った。

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