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大阪でモディリアーニに会ったコト。美術館編

先日、大人になってから初めて大阪に行きました…

目的は 大阪・中之島美術館で開催中のモディリアーニ展。

いままではフランス絵画展で、1〜2点飾られているのは見たことがある程度で、まとめて見たことがなかったので、大きな展覧会に惹かれました。

モディリアーニの絵の第一印象、
おそらく大抵の人は 長い首と顔 だと思います。
私自身も、実物を見るまではそのフォルムの鮮烈なイメージしかありませんでした。
しかし、モディリアーニのある作品を見て、一辺倒な印象が変わりました。

きっかけは2019年9月から東京都美術館で開催された
「コートールド美術館展 魅惑の印象派」 です。

https://www.tobikan.jp/media/pdf/2019/courtauld_flier.pdf

ロンドンにあるコートールド美術館は、印象派や名のある画家たちの名品が多く集められた民間の美術館だそうです。
素人目にも実業家サミュエル・コートールドの審美眼、センスにはもうただただ感服の極み、と思えるほど。そして何よりどの作品も日本人好み。

その展覧会で出会ったのが
アメデオ・モディリアー作 裸婦 (1916) です。

女性の体を大胆に表現したこの作品の、肌の質感や柔らかさ、血管が透けて見える繊細さ。
このアンバランスな雰囲気に、しばらく絵の前から離れられませんでした。

なんだかいやらしい目で見てしまうことも否定できませんが、同性目線で思ったのは綺麗に描くことよりもモデルの肉感をそのまま描いているということ。

胸の上の肉て、年齢とともに削がれていくような感じがする。
下腹部はどうしてもポコっとするんだよね。
どんなにウエストが細くてもおしりは座ると横にモリッと潰れるのよ…

それでも触れてみたいと思わせる、裸体の魅力。
触れたら弾かれるか、優しく受け入れるか試してみたい、という女性の魔力のようなものを絵から感じました。

こんな絵を描くモディリアーニ、どんな人なんだろう。

そんな思いをいだきつつもなかなか別の作品に出会うこともなく時が過ぎていき・・・
昨年、大阪でモディリアーニ展が開催されることを知り、(これはいかねば…)と、出不精の私が奇跡的な決意をいだきました。

そして7月某日、深夜バスに乗って早朝着いた新大阪からプチ観光を挟みつつたどり着いた大阪中之島美術館は、不思議なねこの像を入口の外に構えた黒くて四角い建物でした。

中も不思議な空間(というより空間の無駄遣い?)で、展覧会は長ーいエスカレーターで登ったさきのフロアから始まりました。

エコール・ド・パリ 
パリジャンの注目を集めただろうポスターの面々、
肖像画、
彫像、
彼の作品のルーツ、
交友のあった画家たちの作品(藤田義嗣の作品は会うのは2度目の物も)
日本での人気を示す品々。
若くして亡くなったアメデオ・モディリアーニ、彼の短い生涯でこんなにも作品を残し、人と人をつなぎ、希望を与えてきたのか、そのエネルギーの源はきっと、芸術家としての生き様をカタチにして残したかった情熱そのものなのだろうな、と思いました。

そしてお目当ての裸婦画。
すごい、情熱的で挑発的な女性の眼差しに引き込まれます。
 ティツィアーノの『ウルビーノのヴィーナス』(1538)よりもずっと肉厚。

この展覧会の、中之島美術館の真髄というのでしょうか。

「日本で所蔵される唯一のモディリアーニの裸婦像である。福島繁太郎がパリで入手し、1933年に持ち帰った。以後、日本で多くの芸術家を刺激し、モディリアーに芸術を広く伝えてきた。本作は山本發次郎に譲られた後、1989年、大阪市が新しい美術館のために購入。その33年後に大阪中之島美術館が開館。オープンを記念する特別展は、コレクションを代表する本作にちなみ、モディリアーニ展になった。」(展示より抜粋)

(随分時間かかったね…)
(でも自分よりは年下だ)

こちらも撮影OKだった『少女の肖像』
瞳が描き込まれていないので、THEモディリアーニって感じです。

素敵な作品が一堂に揃った展覧会で大満足でした。

(これは大阪感覚なのかな。インパクト大!)
ちょっとモディリ酔いが覚めてしまった。クールが過ぎるなぁ。

中之島美術館。
建物自体が特殊な構造で、なんだか自分もアートのひとつになったような、迷ってみたくなる美術館でした。

縁があったらまた来たいです。

…大阪グルメも全然食べれてないし。

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