Only oneだって優勝じゃんって話じゃん。『白眉濛濛』に寄せて

「世界に一つだけの花」という曲が嫌いだった。この曲が流行ったのはたぶんわたしが小学生の頃で、でもなんか中学生くらいまではたぶんずーっと流行り続けていて、でもわたしはずーっとこの曲が嫌いだった。
その頃のわたしは、勉強でも運動でもあたりまえに誰かに抜かされる、いちばんになんか一度もなったことのないなんでもない中学生だったくせに、なぜか自分にはまだ見つけられていないだけで特別な才能があるのだと思っていた。きっといつかNO.1になれると信じていたから、NO.1にならないと意味がないと思っていたから、Only oneなんて歌ってくるあの曲が嫌いだったのかもしれない。

演劇をはじめたのは、昔から目立ちたがり屋だったからだと思う。学芸会で劇をしたり、国語の時間に音読をするのが周りより少し上手かったから、これなら他人より目立てると思ったのだと思う。たぶんわたしには演劇の才能があるのだろうと思っていた。
幼稚な自信をずっと持ち続けたわたしは大学生になりやっと演劇を始めるのだが、始めてから知ったことは、たぶんわたしには演劇の才能がないことだった。たぶん見下されているんだろうな、笑わせているのではなく笑われているのだろうな、と感じることが多かった。

信頼している演出家に「才能ない方の役者」と言われたことがある。わたしを鼓舞するためだったことは分かるし、嫌なことを言うつもりではなかったと思う。いまは、そんなこと言われたことあったな〜と笑えるけど、当時のわたしは毎日自分と周りの実力の差に落ち込み、不安定なメンタルで生きていたので、ひどくショックを受けてしまった。その公演が終わってからも、芝居がうまくできないとその言葉が過り、ひとりぼっちでボロボロ泣いた。

以前よりも「わたしには才能がないから」「下手くそだから」と言うことが増えた。誰かにまた言われることが怖かったから、いつも先回りして言うようにした。ネガティブマシマシ俳優としてしばらく生きてみて気付いたのは、自分の芝居をすきだと言ってくれる人が案外いることだった。そりゃ「わたし才能ないからさ」と言われたら「そうだよね、安藤は才能ないよね、つまらないよね」と思っていたとしても言える人間は少ないだろうから、多少気を遣わせているのだろうと思うけれど、良いと言ってもらえることは素直にうれしかった。

ずっと特別な存在に、何者かになりたいと思って生きてきたけど、特別じゃないと気付いてしまっても演劇を辞められなかった。理由はとてもとても簡単で、演劇がすきだったから。自分が俳優をすることなんて、自分とごく少数の自分の芝居をすきでいてくれる人たちだけにしか価値はなくて。でも大勢にとって価値がないからと言って別に自分がいなくならなきゃいけないなんてことなくて。自分が心の底からすきになれることに出会えたのだからそれは自分にとって価値のあることで。人前に出ることを選んだ以上、他人からの評価や他人にとって価値のあることなのか、みたいなことからはきっと逃れることはできないけど、もう少しだけ自分を信じてもいいのかなと思えた。「白眉濛濛」に出会えて。

最近、「世界に一つだけの花」結構すきで、というかちゃんと聞けるようになって。たぶん大人たちの多くは、自分が何者かになれないことを知っていて、でも何者かになれなくたって人生は続いていくことも知っているから、だからあの曲は人気だったんだろうなといまは思う。

わたしは特別な俳優じゃない。地味だし上手くもない。だけど、特別じゃないからこそ伝えられることが絶対あると思う。「才能ない方の役者」は「才能ない方の役者」としての戦い方をする。わたしに才能がないことを教えてくれたすべての人、ありがとう。普通に全然ムカつくけどありがとう。人生は優劣じゃないし、勝ち負けじゃないし、でもわたしはわたしの人生を優勝させるからよろしくな。

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