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ピカソ取扱記念特集part3: 晩年にかけて常に新たな表現を追求し続けた巨匠ピカソの歴史

ピカソは芸術家としての長い生涯を通じて新たな表現を模索し続け、作風を頻繁に変えてきたことで知られていて、それぞれの時期が「○○の時代」と称されています。

3回にわたってピカソの歴史を読み解く本シリーズ最終回の今回は、戦後~晩年について解説します。

ピカソ最大の功績とされるキュビズムまでを振り返りたい方はこちらからお読みください!

平和を希求する抗議の作品《朝鮮虐殺》

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画像:《朝鮮虐殺》(1951)

戦後、共産党に入党したピカソは平和運動に積極的に参加し、平和を希求する政治的な作品も制作しました。

中でも代表的な作品が、朝鮮戦争におけるアメリカの軍事介入を批判したとされる《朝鮮虐殺》(1951)です。1950年の信川(シンチョン)虐殺事件が主題になっています。

ゴヤの最も有名な戦争画《1808年5月3日》(1814)のオマージュとされ、戦争やアメリカの残虐行為に対する強い批判的なメッセージが読み取れます。

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画像:ゴヤ《1808年5月3日》(1814)

ゴヤの《1808年5月3日》と比較すると、《朝鮮虐殺》では左側の犠牲者が裸の子供や妊婦を含む女性として描かれています。また武装している右側の兵士のような人物たちは、顔が無機質なロボットのように描かれいる一方で胴体は裸というアンバランスな描かれ方をしています。

2人目の妻「ジャクリーヌ」

ピカソは前妻オルガ・コクローヴァと死別したのち、ジャクリーヌと結婚しました。ジャクリーヌはピカソの最期の23年間を共にし、献身的な愛情でピカソの晩年の私生活と制作を支えました。

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画像:《Portrait de Jacqueline de Face Etat Ⅲ 21-21-1961 (Bloch 1064)》

彼女をモデルにした作品も数多く制作され、今回ANDARTが取り扱う作品もその一つです。

複数の視点から見たイメージを平面的に表現するキュビズムの技法が使われ、作品には2人の人間が描かれているように見えます。左側の髪の長い女性と右側の短い男性はジャクリーヌとピカソのようにも見え、2人が接吻をかわしているようにも見えるとされています。

また本作品はピカソが編み出した版画の常識を覆すような技法で制作されていることも、本作品の特徴です。

シカゴのニューシンボルとしてのパブリックアート《シカゴ・ピカソ》

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画像:《シカゴ・ピカソ》(1962-64)

現在はシカゴのシンボルの一つとして認識されている、高さ約20メートルの彫刻《シカゴ・ピカソ》(1962-64)は、ピカソにとって初の大規模パブリックアートの作品です。この作品にはピカソの長年の芸術的な実験の多くの要素が盛り込まれています。

設置された当初は市民から罵声を浴びせられるなど評判が悪かったそうですが、シカゴが現代アートの街になるきっかけとなりました。実際に《シカゴ・ピカソ》設置の数年後、市の年間建設・改修予算の何パーセントかをアート購入のために確保することを義務付ける条例が可決され、行政が芸術に力を入れるきっかけになった作品といわれています。

2月15日よりパブロ・ピカソ作品のオーナー権がご購入いただけるようになります!

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画像:《Portrait de Jacqueline de Face Etat Ⅲ 21-21-1961 (Bloch 1064)》

「画家にして版画家」ピカソ自身が開拓した版画の新技法を駆使し、キュビズムの様式を用いて最期の妻・ジャクリーヌを描いた一作です。

作品の詳しい情報はこちらからご覧ください!

ピカソ・バンクシーの2作品が見れる展示イベント開催予定!

今月販売を開始するピカソまたはバンクシーの作品のオーナー権をご購入いただいた方は必ずイベントにご参加いただけます!

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そもそもANDARTとは、、?

ANDARTのサービスについて詳しく知りたい方は、ぜひこちらの動画をご覧下さい!

ここまで読了いただきありがとうございました!
ピカソ取扱記念特集はこれで最終回となりますが、次回のnoteも乞うご期待!*


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