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エッセイ#1

朝、早く起床すること。

 はじめまして、安藤です。と言ってもこの記事を見てくれる人も少ないと思うので、適当にツラツラとエッセイ擬きを綴ることにします。
 本題に入る前に、世間では「早起きは三文の徳」やら「早寝早起き、病知らず」などという言葉が蔓延って不愉快になりますが、好んで早起きをして生活をしようと励んでいるのはお年寄だけのようですね。今朝は近くの公園で小説を読んでいたんですが、通り過ぎるのは全身をジャージで固め進んで運動に励もうとしているやる気のある高齢者だけです。1組学生らしきグループがありましたが、あれは意味もなく或いは意味あって徹夜したために生じた不眠を誤魔化すための散歩でしょうから早起きではありません。どうやら、その学生の中には人生においてアルファードに乗らなければならない使命があるらしいですが、自分には分かりません。価値観というのは不思議であり、その人の欲望を美しく鏡のように形付けながら写します。
 そこで普段早起きをしない私が早起きをしてみて気が付いたことがあります。短めに、あえて晦渋しながら綴ると、「早起きの良さは世間で謳われているような無機質で味のない科学的な健康などではなく、そこには言わば生命のような、言わば生命学的でなくもっと身近な母親の様な有機的な暖かさがあり、それは人の心を豊かに、ほんのり暖色系の色を与えてくれる所にある」と私は解釈します。しかし、現代の朝はあまりに忙しいです。少しでも歩くのが遅かったり、他の事に気を取られていたら、置いていかれます。真っ当な人間からしたらそんな事すら視界に入らない程忙しいんでしょうか。そんな真っ当な人間を横目に羨ましく思いながらも、今日を静かに、ひっそりと、少しだけ後ろめたさを感じながら、生きたいとおもいます。
 本来、今日のテーマにしようとしていた事を書くのを憚られる程になってしまったので自分の中で考えをまとめ次第またやりたいと思いますね。

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