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仕事へ行く人たち(波止場日記)

2020年4月21日

 出勤をする日。通勤の電車は空いていた。悠々と椅子に座り、『自然は導く』のページを開く。こくりこくりとする。出社時間はかなり遅めだった。いつもより睡眠時間ものびた。それでも眠気は襲ってくる。平時になったら寝坊で遅刻してしまいそうだ。
 目が覚めると両隣りの席には座っている人がいた。スマートフォンでゲームをするか、動画を見ているかしていた。渋谷駅に着く頃には、それなりの人が車内にいた。仕事をするのだろう。私も含めて、完全に会社へ行かなくてもよい、というわけにもいかない人たち。階段を上がると、さらに人の数は増えた。いつもとあまり変わってないように思えた。

 近くのコンビニでパンとコーヒーを買う。陽の光が建物と建物の間から差す。今日は暖かくなる、と天気予報は伝えていた。占いも3位だった。良い日になるといい。 

 会議の多い日になった。会議ではついつい話し込んだりしてしまうことが多い。 ビデオ会議は難しい。セミナーにも申し込んでいたのだが、セミナー動画を流しながら仕事をしていたので、内容が頭に入ってこない。もったいない。私みたいなやつは、行って聞かないと何も習得ができないのかもしれない。

 『波止場日記』 エリック・ホッファー  田中淳訳 みすず書房

 日記を書いてると、よく見せようとしてしまう。素直な文が書けない。特に本について。”古びた体験と私が差向いになれるのに、二十年の忘却が必要であった。”と『悲しき熱帯』でレヴィ=ストロースが書いている。
 格好をつけてしまうのだ。格好がいいならまだ冒険活劇のように面白いかもしれない。でもそうでもない。上っ面をパラパラとさせたような言葉がならんだりする。体験よりも感情が先行して、あらすじばかり追ってしまう。本当はあらすじなんてどうでもいい。そういうの、もうやめよう、と思う。思うんだけど、素直に書けない。

教えたいという情熱が現代の革命運動興隆の決定的な要因である、と私は確信している。革命家がある国の支配力を握る場合、ほとんどはその国をおどおどした囚われの身の生徒が彼の足下にまとわりつく教室に変えてしまう。彼が口を開くと国全体が耳を傾ける
『波止場日記』 エリック・ホッファー

 1959年4月21日の『波止場日記』から。
 前年1958年の12月にロスアラモスで臨界事故が起きていて、59年にはサンタスザーナでも原子力事故が起きた。第三次世界大戦は間近に迫っていて、それはソ連とアメリカの核戦争になるだろうと思われていた。
 両国の核開発と宇宙船開発は過激な競争となった。多くの犠牲者があふれたが、それらは隠蔽されたり、国家の犠牲としてヒーローのように扱われたりした。何かよくわからないものに飲み込まれ、歓声をあげたり、落胆したり、涙を流したりする。決して嘘とは言えない、それらの感情。しかし、腑に落ちない違和感。

 エリック・ホッファーは高等教育は受けていない。7歳から15歳の間は視力を失い、一般的な教育は受けなかった。7歳で母親を亡くし、18歳で父親を亡くした。育ててくれた叔母は19歳の時に故郷ドイツに戻った。彼はドイツ移民の子だった。

 独学で本を読み、思索を深め、書き続けた処女作『大衆運動』で世の中から注目される。1964年からバークレーの政治研究教授になるが、1941年から始めた沖仲士の仕事は、1967年、65歳になるまで続けていた。沖仲士と思索は彼にとって最も良いバランスだったと語っている。

 情報化社会の奴隷のようになって、SNSばかり見ている。エリック・ホッファーのような生き方、暮らしに憧れを持つことは多い。
 しかし、そうしたいか、と尋ねられると、そうでもない。愛する女性と結婚して、子どもと一緒に家族を持って生活したい。そのために、何かを失っている気もする。資本主義というやつに魂をそれなりに売っている。

 でも少しは抗したい。
 『波止場日記』は純粋な思索だ。期待するわけでもなく、失望するわけでもなく、自身の施行を描写をする。考えに輪郭を与えていく。輪郭を与えて整える。そのとき読んでいるものを記録する。出来事の記載とその原因を紐解こうとする。未来を予測しようとする。だからと言って、何かを大声で叫ばない。
 
 一方、ああでもない、こうでもない、と振り回されて、情報化社会で大声をあげようと頑張ってしまう日もある。そういうものから放たれたいと思う一方で、そういうものと仲良くなりたいたと思うこともある。ああでもない、こうでもないととどまっている。
 私自身を知るには、やっぱり深い思索とそれを書き写す作業が必要なんだろうと思う。二十年後、忘却が思い出をすり減らし、思い出の断片から忘却が築き上げた構築によって、文が書けたりするのだろうか。素直になりたいな。

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