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久しぶりに山へ行ったこと、そのほか自由に。

2020年6月27日

明けて間もない空が薄いピンク色に染められている。朝の4時半、目覚ましのアラームが鳴る。ほとんど同時に上の息子が寝室の扉を開き、おはよう、と声をかけてくる。
自粛、県跨ぎの禁止とか。抑圧された数ヶ月の間に、寒かった季節も暑い夏になった。春の予定は全て崩れて、ランニングもクライミングも目標が宙に浮いたまま、ぶらりぶらりと揺れている。
長野県と山梨県、群馬県あたりの県境にある日本のクライミングの聖地、小川山へゴールデンウィークに行く予定だった。もちろん、その計画は流れてしまった。それから1か月、ようやく県跨ぎも緩和された。待ちに待った日、小川山へクライミングに行く日が来た。

小川山の廻り目キャンプ場の駐車場に車を止め、外へと出る。空気の美味しさが体に染み込んでくる。すでに標高は1300mに近い。急峻な岩肌の山が周りを囲む。日本ではないような感じがした。8時30分過ぎに到着すると、駐車場にはたくさんのキャンパーとクライマー、ハイカーがたくさんいた。

待ち合わせしていたクライマーたちと合流し、尾根岩の第二峰の方へ向かう。重いギアを担ぎながら歩くアプローチも久しぶりで楽しい。小声で歌を口ずさんでしまう。

クライミングは登るルートの難しさによってレベルわけされている。初めて登った人がそのルートのレベルを公表し、二回目、三回目と続くクライマーがそのグレードが適切かどうか決めるようだ。
ボルダリングは日本独自の段級で示されたグレードを用いることが多く、ルートクライミング(命綱をつけて登るような長いルート)は、アメリカ式で示されることが多いように思う。

今回はグレード5.11bの「スラブの逆襲」に挑んだ。最初のトライは失敗。足の置き場、体の動きなどを確認して、出来そうだ、という確信を得る。登り切ろう、と覚悟を決めてトライした2度目は、気合が空回りして不必要なところで力を消耗してしまい失敗し、失意に落ちる。
ビレイをしてくれたクライマーに、あんなに落胆しているなんて、とあとで言われたくらい落ち込んだ。
3度目のトライで登れた時は嬉しかった。子どもの頃のように嬉しかった。

日が少し傾き始めた4時少し前に、ボルダーを少し触ろうと下山する。点在するボルダーには、有名課題を登っているクライマーがたくさんいた。白樺の木漏れ日に照らされるクライマーたちの姿はかっこいい。体育座りをして、岩を眺めている姿、登っている人を応援する声、静まりつつある山の中に、もうすぐ1日の終わりを感じる。

夕暮れに感傷を覚えなくなったのはいつからだっただろう。
車の中で真っ暗になった周囲を見て思った。後部座席では、子どもたちが寝ている。少しだけ明けた窓の隙間から風が入ってくる。外気温が少しずつ上がっていくのがわかる。1日が終わってしまった。車は東京へ向かう。
久しぶりに悲しい気持ちになった。

その週末を迎える前、『旅をする木』を通勤の電車で読んでいた。電車の中は元通りに混みあいはじめている。駅に止るたびに人が増えていく。初めて読む星野道夫さんの文はとても素敵だなあと思う。
たとえば、太平洋からコップで海水をすくい上げてもその水は太平洋ではない。最上川の水をすくい上げても、その水は最上川ではない。文の一部を拾い上げてもそれは特別に素敵なものではなかったりもする。呼吸のような、歩くような、手を振るような文を書く人だと思う。

誰かと別れるとき、手を振る。仕事をするようになって、手を振って別れることが出来なくなった。社会人として、みたいな感覚があるんだろう。たまに、自然に手を振ってくれる人がいる。そんな時、私の「社会人」はどこかへ行って、手を振ることができる。別れるたびに人と人の距離が近づいていく気がする。大人ってバカみたい。

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