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プロレスを見ないけど、プロレスの話(1964年のジャイアント馬場)

2020年4月25日

 朝、次男は私の寝ている部屋についに姿を現さず、リビングへ向かっていたのだが、すでに妻とシャボン玉で遊んでおり、朝食までの時間の中でやりたいことをほとんどし終えていた。雲のほとんどない青い空にわずかな雲が浮かんでいる所から朝の陽が射しこめ、マンションや道路の壁や壁を伝うツルが輪郭まで鮮やかに浮き上がっているようだった。

 ご飯を食べたあと、少し本を読んだ。『五分前』。noteを書くようになってから、かつて読んだ本を読み返すことが多くなった。忘れてしまっているものも多い。全く違うストーリーで覚えているものもある。
  
 12時にラーメンを食べる。ラーメンを食べる前にお菓子を食べたい、ということを聞かなくなった次男を叱る。疲れた。長男も朝に軽く叱った。叱ってばかりいる気がする。ゲンナリだ。
 
 コーヒー豆が切れたので、寺家へ豆を買いに行く。いつも通り、私はランニング、妻と長男は自転車。次男は妻の自転車の後部座席に乗る。帰りにケーキを買って帰る。どこもかしこも店内では食べれないし、営業時間も短くなっている。
 
 ここ3日、右足首が痛い。ケーキ屋で足を止めると、痛くて走れなくなった。五分ほど歩き、ゆっくりと走りはじめる。これは疲労ではなく痛み。着地すると痛い。
 よくよく考えると、同じような態勢で、右足に体重を乗せ、クライミングの練習をしていた。1時間は同じ個所に力を踏み込んでいた。おそらくそれが原因だろう。
 痛みに痛みを重ね合わせて、ミルフィーユみたいにする。誤魔化すのではなく、強くする。研磨するように、足が強固になる。

『1964年のジャイアント馬場』柳澤健 双葉社

『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』を読んでから格闘技のノンフィクションをよく読んでいた時期がある。
 大学時代の友人が、ジャイアント馬場が大好きだった。柳澤健さんが書いていたし、読んでみようと思い買った。

 大学時代の友人はノアが好きだった。ジャイアント馬場を呼び捨てにすると、馬場さんと言え、と言った。必ず言い直させる。
 
 小学生の頃に女子プロレスを見に行ったことがある。田舎の片隅まで営業に来ていた時代。すごい人混みで、あまりリングのことを覚えていない。音も肌触りも。人混みの中から、飛んでる女のレスラーの足のイメージ。動きもない、一枚の画の記憶。

 あまり楽しくなかったんだろう。それからプロレスへ行こうと思ったことはなく、毎年やってくる女子プロレスの興行のチラシも、いつしか見なくなった。
 中学生の頃知ったのだが、女子プロレスラーの井上京子選手は同郷の生まれだった。もしかしたら、それでこんな片隅にまでプロレスの興行が来てくれたのかもしれない。

 2009年にノアの三沢光晴が亡くなった。試合中にバックドロップを喰らってのことだった。大学在学中のことだと思っていたが、卒業して随分と経っていた。記憶があやふやなのは、友人からメールが入り、頻繁に話したからかもしれない。そのあと、プロレスも観に行った。

 プロレスは魅せる。魅せることでお金をもらうスポーツ。勝敗も決まっていることが多い。逆転劇や圧勝劇、人間ドラマ。魅せることでお金をもらう。本来は誰が強いのか、強さを競うものだったが次第に変化した。猪木とアリが戦った世紀の凡戦こそ、格闘技の本性だ。誰もがあんなもの見たくない。しかし、真剣勝負とはああいうもの。

 真剣勝負から次第に劇場型へと変化を遂げたプロレスに反し、真剣勝負にルールを持たせて活性因子を作らせることで熱狂を生み出す、今の総合格闘技。着地するものが違うが、同じ幹を持つ。だから、プロレスラーは戦えば本当に強い。

 プロレスが好きじゃなくても楽しめるが、猪木や馬場を知らないとあまり楽しめないかもしれない。それが当時代に生きていた強み。
私の時代なら、誰でも知ってる猪木と馬場。今の時代を生きる若者たちにはあまり馴染みもないだろう。私だってマジカルバナナと、ビンタのイメージだけだ。
読んでみたら面白い。ただ、プロレスが好きじゃなきゃ、読まないだろうね、これはきっと。


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