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伝わりやすくすることの功罪。

櫻田潤さん著「たのしいスケッチノート」刊行記念に行われた、櫻田さんと清水淳子さんのトークイベントに参加してきました。


櫻田潤さん主催の櫻田ラボに所属している私。

櫻田ラボのグラレコ部員6人でグラフィックレコーディングをすることで、
✔︎大事だと思うところは人により違う
✔︎表現する方法もさまざま
つまり、同じ話を描いても6人6様、1つとして同じアウトプットにはならないことを表現しました。


また、今回6人がそれぞれ
「レコーディングでどんな視点で紙に描き残すか」を宣言してから描き、「イベント後、実際に何があらわれたのか」をハーベスティング(振り返り)するという体験をしました。

私は「皆さんが盛り上がったところだけを描く」と宣言。
その話はブログに書いていますので、ご興味のあるかたはぜひ読んでくださいね。
https://ameblo.jp/andomo18/entry-12546204782.html


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さて、noteでは、グラフィックレコーダーの方、グラフィックレコーディングを始めたい方向けの話を書いていくことにしたので、ここからはイベントの内容からいくつかシェアさせてください。はっきり言ってとても濃い…濃縮還元の1時間半でした。


手書き回帰

2010年ごろからずっと、インフォグラフィックや図解などデータのビジュアライズをされてきた櫻田さん。2015年あたりから、スマホ最適を考えた末に縦スクロールのインフォグラフィックを制作し、没入感というキーワードを達成できた感覚があった「ような気がしていた」んだそうです。

ところがだんだん、「わかりやすさ」「カチッと作る」ことに疑問が湧いてくる。そして、手書きの不完全さと物語性の魅力、そして多様性の表現には手書きの方が良いのでは、ということでグラフィックレコーディングにも挑戦。ただしグラフィックレコーディングの「リアルタイム性」「模造紙」というハードルが高く、こちらは断念されたそう。

ただこの2つのハードルを外せば、できると思える人が増えるのではないか?ということで行き着いたスケッチノートを追求されています。

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お二人の目指す未来

櫻田さん
「ビジュアルの力で世界をまるくする」
清水さん
「誰もが視覚表現を使えれば対立が減り世界が変わる」
どちらもかなり近いことをおっしゃっているんです。

※2019.12.9追記:ここでいう「対立」について。
ご講演内容の「対立」という言葉を私は「意見の相違」ではなく「人間同士の衝突や諍い」という意味に捉えてこのような表記をしています。意見の相違はあっても、その相違を受け入れ多様性を楽しむ未来、つまり「対立」することが減る未来をお考えになっていると受け取りました。


わかりやすい、は善なのか

経済メディア「Newspicks」に所属している櫻田さん。
記事に図解やインフォグラフィックを入れることで、「わかりやすい」と言われるけれど、あるときそれは正しいのか疑問になった。むしろ、悪いことをしているような気にすらなってきたとのこと。

「世論を動かすものがそんなにわかりやすくていいのか。もっとカオスなものではないのか?」

池上彰さんも同様に「わかりやすくすることによって、みんなが考える余白を奪っているのではないか」というようなことを著作に書いていらっしゃるそうです。

ビジュアル表現の役割は「わかりやすくする」のではなく、むしろ複雑で混沌とした世界の入り口として存在できたらいい。
情報は「伝える」のではなく「感じる」ものにならないか。

手書きの制作物を見た人が「感じ」られ、情報を補完させる「未熟さ」が、むしろ手書きの力なのかもしれない。

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スケッチノートとグラフィックレコーディングの公共性

スケッチノートは自分のものであり、自分の意見を交えた私的なもの。
それに対し、グラフィックレコーディングは場に属し、パブリックなもの。

グラフィックレコーディングは見た人の冷静さを担保するものであり、その冷静さを奪わないものである点が、感情を掻き立てるアートとは異なる。


だからこそ、メディアリテラシーが重要になる。

例えば映画館で、勝手にグラフィックレコーディングを始めることはありえない。
同じことがイベントにも言える。イベントに出た人が勝手にグラフィックレコーディング(に類するもの)をして、それを勝手に公開していいのか?
グラフィックレコーディングをする人が増えてきて生まれた問い。

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良いグラフィックを作るために

櫻田さん:情報に触れた時、さらっと見るのではなく、咀嚼して自分に落とし込むようにしている。
清水さん:グラフィックレコーディングそのものの練習はしていない。話を聴く脳と身体を心掛け、色々な場所に出かけて話を聞くようにしている。

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5年後に向けて

グラフィックが「うまい」「へた」軸で語られない世界を目指したい。
グラフィックにすると「対立が減る、人格レベルでうまいこといく、良い感じ」という部分をきちんと言葉にして、必要な人に届けたい。

上記「わかりやすい、は善なのか」にも通じますが、グラフィックには、答えを描くというよりは、問いを込める。見た人それぞれが自分の生活の中に自分ごととして取り込んでいけるようなものが描けるといい。



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今回一緒に櫻田ラボメンバーとしてレコーディングしたたなかけいこさんも、この日のことをnoteにまとめられています。



* *  *

感じたこと

伝わりやすいは、善だと思いながらも、どこかで問いを無くしている感覚はありました。それは、前回のnoteでも似たようなことを書いています。

ただ、グラフィックレコーディングについていえば、それは考えたことがなかった。むしろ、伝わりやすいは善だと確信していた。いかに伝わりやすいものを描くか、そこを追い求めていた。

グラフィックレコーディングを初心者にお伝えしている立場からいえば、やはり最初に「伝わりやすいもの」を目指すのは必要。聞いたことをきちんと咀嚼抽出し、必要に応じイラストも入れて紙の上に残すことを、まずは目指していただいているし、それはそれで絶対に必要なことだと思う。

ただ、一人のグラフィックレコーダーとしては、このイベントの内容はグサグサと刺さりました。対話や議論の中身を紙の上に描き出し、リアルタイムで、振り返りで、不参加者へのシェアで、理解しやすいものを書くようにする、伝わりやすいものを書くようにする、というフェーズ。その次には、さらに問いを投げかけるような、そしてその人それぞれがその問いを持ち帰って自分ごとにできるようなレコーディングがあるらしいという衝撃。

悲しい時には涙型を添え、嬉しい時には口を半月型にするような機械的なイラストでは表現できないような人間の感情だってある。そんなこと言ったらリアルタイムという制限の中で描けない?じゃあ何を描いたらいいんだ?という話にもなるけれど、今わたしのなかに正解はない。

だからこそいいんだ。

ああ、具体と抽象を行き来しながら、もっと頭を使いながら、イラストの練習もしよう。

絵が苦手なら文字だけでOKだけど、「私も絵が苦手です」は、2020年から過去形にします。


おわりに

櫻田さん、清水さん、お二方ともずっと第一線を走ってきた方です。
だから、わりと厳しいことをおっしゃるイメージがある方もいるかもしれません。

先陣を切るってことは、嬉しいこともきっとたくさんある一方で風当たりも強いし、決して平坦な道ではなかったと思います。

そんな中でも、価値を守りながら高めながら、誤解も罵声も何もかも乗り越えてきたんだなぁと、勇気をたくさんいただきました。

ここで書いたことも(私が考察したことも)ちょっと難しいことだったり、堅苦しかったりするかもしれません。

でも。

「とにかく、恐れずにどんどん描いていったらいいですよ」

全部を引き取ってきた猛者の、あたたかい笑顔につつまれたお言葉を
最後のまとめとして皆様にシェアさせていただきます。

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