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グラフィックレコーダーは、レコード(記録)を作る人なのか?の自問自答。

グラフィックレコーダーの湯朝かりんです。1月から2月にかけて、これまであまり見ないようにしてきたけれど、どうしようもなく気になってきてしまったことがありました。ちゃんと見つめていったら、新しい気づきになったので残しておきます。


グラフィックレコーディングの直訳

グラフィックレコーディングは、直訳すれば「グラフィックを使って記録していくこと」。ingをもう少し厳密に捉えると「その記録するさま」も含めるということになるでしょうか。


グラフィックレコーディングのおもしろみ

私自身は、記録物の「見栄えそのもの」はあまり重視していません(※もちろん、必要に応じてある程度見栄えも意識します)。

グラフィックレコーディングというスキルで、リアルタイムで記録していくものを使ってコミュニケーションを産み出し、促進し、人と人とをなめらかにつなげられるのではないか。そして結果的に、生きがいを持って生きていく人を増やすことができないか。そこの部分に大きな価値とおもしろさを感じています。それは、セミナーでも、会議でも、日常生活の中でも、ひとりとひとりの対話であっても同じです。

だから記録物を見た瞬間にすごいとかきれいと言われることよりも、じっくり見ていただけること、使ってもらえることのほうがうれしい。聞き逃したことが書かれていること、ちょっとした話が後から膨らむこと、話を発展させやすいことなど、記録されていくからこそ生まれるものがたくさんあります。


オンラインのグラレコが大衆化したことで?

ただ最近、少々乱暴な言い方をすると「素早く納品される記録物」だけが求められることが増えている気がして。たしかにネットで見えるのはあくまでも記録が終わったものなので、そういうご依頼から始まるのは理解できます。

そんなときは時間をかけて説明します。大抵の場合はご理解いただき(喜んでいただき)、どう使うと役立てるかを一緒に考えていきます。でも稀に、いろいろ言わず描いてくれればいいのにという空気を感じる時もあります。そんなモヤモヤ。

今までもずっと考えてきたことなのに、最近よりいっそうモヤモヤしてしまったのは、私自身、あるデザイナーさんとの出会いがあったからかもしれません。気軽に消費されてしまう工業製品のデザイナーから踏み出して、職人さんと一緒に素材に真剣に向き合っていくものづくり。そのストーリーを味わいながら、くらしの中の道具として使われていくさまを思い浮かべて、すごく感銘を受けました。

私も私のつくり出す記録をその後の人生の何かをひらく道具としてほしい。まずはそこにいる人たちにじっくり使ってほしい。できればそこから気づきや対話が生まれるところまでを見届けたい。そんな気持ち。

つまり私がやりたいことは、素早く記録を作るところまでではなくて、その先なのに。でもふと目を落とすと、そんな気持ちとは裏腹に、名刺にはグラフィック「レコーダー」という名前。「絵入りの記録を作る人」ってカタカナで書いてあるわけですよ。「グラフィックレコーディンガー」にしてみるのはどうかな。いや、そういう問題じゃないか。


ひっそり使っていたもう一つの肩書き

いっそのこと「グラフィックレコーダー」っていう肩書を外したほうが、私のやりたい活動に近づきやすいのかもしれない。

そんなことを考えていたら、もう一つの肩書を思い出しました。昨年、可視化を使ってオンラインセミナーの満足度を上げる方法をお伝えしていたときに名乗っていた「可視化コミュニケーションデザイナー」という肩書き。


このときは、グラレコ以外の話がメインだったので、自分が「グラフィックレコーダー」と名乗ると伝わりにくいと思ってつけた肩書でした。でもその頃の私にとってはとても大きくて押し潰されそうで、あまり表に出さないようにしていました。デザイナーと呼ばれる人たちへの畏敬の気持ちもありました。

でもここ最近、私がグラフィックレコーディングを含む可視化で実現したいことは、コミュニケーションを産み出し、促進し、人と人とをなめらかにつなげ、生きがいを持って生きていく人を増やすこと。だから、全部ひっくるめてこっちの肩書がぴったりなんじゃないかと。最初につけた文脈とはちょっと違うのに、なんだかしっくりきてしまったんです。


潜ったから見えてきたこと

じゃあグラフィックレコーダーをやめるのか。そこまで潜ってみたら、なんだか見えてきました。話を聴いて可視化するとき、やっぱり記録することがベースであることには変わりないと。

記録物だけでも価値がある】
極論するとただ単語を羅列するだけでもいい。イベント内でレコーダー側、主催者側で特別な説明や投げかけをしなくても、記録物を見ることができるだけで、その人の深掘り、自己対話、行動変容、などにつながることもある。それがレコーダーの手を離れた場所で起こっていることが多くなるだけ。

記録していく人がその場にいるだけでも、何かの影響を与えている】
それは描いてくれることそのものの、もっと根源的な価値。ファシリテーター以外にも全体を俯瞰している人がいる、自分の話を拾ってくれる、描いてくれている安心感から自分の考えにふけってもいいと思える、他。

共創的な関係】
で仕事を進められれば、どんな形であれベストな形に落ちつくはず。お客様は神様ではない。遠慮しすぎる必要もない。

だからやっぱり、レコーダーでもあり続けたい。

私は人の話を描く。それがベースだから、グラフィックレコーダーでやっぱりいいんだ、と一周回って思いました。描くことそのものから自然発生するものも探究したい。

そしてなぜ私がそこにいるのか、そしてどうしてこう描いたのか、どう使って欲しいのか。それを伝えることもまた私の仕事であり、おもしろいところであり、お役に立てることが多いはず。

描くことによって生まれる良い面はたくさんあるけれど、必ずしも良いことばかりでもない。そのあたりも考慮していきたい。

そんなことを考えながら、私は現状、グラフィックレコーダーという肩書を続けます。そして、可視化コミュニケーションデザイナーという肩書きもなるべく併記することにしました。どちらの名前にも恥じない活動をしていきたいなと、改めて。

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