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読書感想文:吉岡斉『新版 原子力の社会史ーその日本的展開』(朝日新聞出版)

 本書は、もともとは1999年に出版されていた同タイトルの書籍に、2011年の福島原発事故を受けて、加筆の上に新版として再出版されたものになる。あとがきによれば、1999年の旧版は、評価は高かったものの「売れ行きは振るわず、重版が出ないまま10年あまりが経過した」とあるので、福島事故がなければ、新版が出ることも望み薄だっただろう。ちなみに、新版では索引が付されており、旧版で索引に苦労された方も、それだけで新版を買い直す価値はありそうだ。

 「日本国内における原子力開発利用の鳥瞰的な通史」とあとがきにあるとおり、日本の原子力開発について語る上で基礎資料となるだろう充実した経緯の記述が、390ページに及ぶ本文で途切れなく続いており、気を抜いて読める箇所がない。その密度の濃さに、買い求めて開いたものの、最後まで読み通せる気はしなかった。途中で中断を挟みつつ、最後まで読み通せたのは、原発事故のあと交流することになった人たちの組織の歴史的経緯がわかって、なるほど、と腑に落ちる箇所が多くあったことが大きい。
 本書の内容は、技術的な記述もあるものの、技術史というよりは、原子力行政史とよぶほうが適切かもしれない。内容そのものがかなり限定的な関心傾向にしぼられるのと、よくも調べ上げたと感心するほかない記述の詳細さに圧倒される人は多かっただろう。書いた著者もすごいが、これを一般書として出版するのもすごい、読み終えた読者もすごい、という書籍だ。(この内容が2,000円というのは、破格としか言いようがない。)

 戦後、日本が国家として原子力技術をいかにして受容し、展開させてきたか、その記述の中心は、科学技術庁から通産省(現:経済産業省)を中心とする政府各機関と、それらの立ち上げた開発のための各組織の動き、それに電力業界の動きになる。そこに大学といった純粋な研究機関の関与する余地はほとんどない。日本の原子力の発展について語ろうとすれば、それは日本の原子力行政史、原子力政策史にしかなりえないという点がまさに、原子力という技術の特殊性を示している。

 その特殊性がうまれる理由は、ひとつには、その技術的起源が、第二次世界大戦末の米国の核兵器開発に端を発していることがあげられるだろう。いかに平和利用の名を冠せども、核兵器開発の派生技術である(つまり、常に核兵器への転用の疑念が取り巻き続ける)ことから、国家が強く関与することなしに存在し得ないのが原子力技術だ。その運用においても、垂直統合型の巨大な組織を必要とするため、国によって関与の仕方はバリエーションがあるとはいえ、国家の関与しない完全に自立した発展・運用といったものはおおよそ想像しがたい。

 以前、放射線生物学の御大研究者と雑談していたときに、放射線に関係する分野には若い人材が入ってこず、分野として非常に先行きが厳しい先細りの状態にあるという話を聞いた。もともとの放射線生物学の研究分野の発展は、医療利用からはじまっており、そこから伸びてゆくことが期待されていた。だが、その後はじまった核開発と、それにともなう原子力分野の急激な伸張により、放射線分野については、国家の影響がちらつかざるをえなくなり、研究分野としての変質がおきたことをその人は指摘していた。研究者としてみれば、自由に研究できる魅力的な分野ではなくなった、ということであるようだった。このエピソードは、本書を読みながら何度も思い出していた。

 日本の場合は、もうひとつの理由として、原子力の民生利用の部分を政治的に移植した技術であることもあげられるだろう。もともとその技術が生まれ育った文化ではない、つまり技術的生態系を持たないところに輸入したため、江戸時代の木造家屋のところに、突然、鋼鉄製のマンションを建てたような違和感がどうしてもある。そのチグハグさをどうにかするために、原子力発電事業は「社会主義計画経済的」に運用されてきたと言えるのかもしれない。

 (この比喩は、東京電力福島第一原子力発電所が建設された当時の浜通り地域の生活状況を想起しながら書いた。年配の少なからぬ人は、原子力発電所が建った時に双葉郡に持ち込まれた先進的な生活様式に触れ、カルチャーショックを受けたことをいまでも記憶している。生まれて初めてオムライスを見て食べ方がわからなかった、双葉郡の店に納入する肉が見たことのない高級なものだった、原発の施設見学に出かけた時にもらえる文具セットはとても自分では手に入れられるものではなかった、東京から来た技術者家族の裕福な暮らしぶり、奥さまの上品さに驚愕した、等々、いまの70代くらいより上の世代に聞けば、誰からも似たようなエピソードを聞くことができる。)

 本書の指摘で、文化論的に興味深かったのは、原子力開発につきものの反対運動に関連して、日本は私権が非常に強いという指摘だ。原子力関係の反対運動は、漁業権と地権といった財産権だけが運動を成功させるための有効な手段であったという。現在、処理水放出についても漁業者が反対しているが、過去の原子力の歴史を振り返れば、常に漁業者は反対運動が繰り返してきたということも、本書の記述からはわかる。そして、ひとたび財産権の問題がクリアされてしまえば、行政の強引な進め方を止める手段は、存在しない。
 これは、公共のない私権の対立という日本社会のあり方を端的に示しているようで興味深い。日本では、人権概念が希薄であるとはよくいわれるが、それに変わるのが財産権などの私権であるようにも思える。原発事故後の除染廃棄物を貯蔵する中間貯蔵施設の用地買収にあたっていた当時の環境大臣が、「最後は金目でしょ」といって大きな批判を浴びたが、こうした権利などの問題をすべて、財産の損得に帰着させる発想は、日本では強固な説得力をもっていることも事実だろう。どのような議論も、予算の問題としたときがもっとも説得力を持つのが日本社会だ。なんだかんだいって、最後は金でしょ、という発想は、日本人にとってはあまりに染みついている。(私の付き合っている範囲での欧米人は、金のところは金だが、そうでないところはそうでないという区分ははっきりしている。日本人はその区分がない。)
 そこには、公共という概念がないがゆえに、「人権」という普遍的概念がどこか身に沿わず、具体的に目に見える形での即物的な財産権(私権)によってそれを代用させているという日本的な特徴があるようにも思える。

 本書に書かれている原子力業界の様々な組織は、私の経験上、あまり仲がよくないことも多い。行政に強固な縦割りの影響ももちろん大きいが、これも公共圏の存在しない日本で、互いの組織の縄張り(私権)をうばいあうことによってしか、組織間の関係や均衡を維持できない日本的特徴なのかもしれない。

 本書では2011年の福島事故を受けての加筆もある。1度開かれてそれきりになってしまっている政府事故調に本書の著者も参加しているが、さまざまな制約と限界がありつつも、政府事故調が民間のメンバー主体で報告書を作成できたのは、原子力行政史から考えれば、事故の衝撃の大きさがもたらした奇跡の一幕であったのだろう。
 それより以前には、1995年から96年にかけての原子力行政改革と民主化の流れが一時的にあったことが、本書の中に触れられている。これは、成田円卓会議が開かれた時期と同時期であり、この時期は、東西冷戦終結による民主主義の高揚時期と一致しており、日本の社会においても、それに触発され「雪解け」あるいは「ペレストロイカ」とでもいうべき動きがあったと考えられる。だが、それに対するバックラッシュの動きは強烈なものとなり、「雪解け」以前の社会に比してさらなる守旧化、硬直化をもたらすという流れも、日本社会全般の流れと正確に一致しているように思える。1995年頃をピークに日本社会全体が、その硬直性を増していったとの印象がある。

 そして、結局、そのバックラッシュの流れのまま、東京電力福島第一原子力発電所事故に至る。事故後、やはり同じように「雪解け」が起きたが、現在、それを帳消しにする強さでバックラッシュを起こしているのはやはり同じであるように思える。考えてみれば、なにか変化が起きるたびに、その変化を台無しにするどころか、さらに先祖返りをする強烈なバックラッシュが起き、社会はひたすら停滞の一途を歩む、というのがこの国の1995年以降であったのかもしれない。

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