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読書感想文:齊藤誠『震災復興の政治経済学』(日本評論社、2015)

 誰もが奥歯に物が挟まったように言葉を濁すばかりで、はっきりと言わないけれど、福島の復興政策はうまくいっていない。いったいなにをどうすればいいのかわからないまま、やみくもに予算を投下してきたのだから、うまくいくはずもないのだけれど、その違和感をエビデンスに基づいて示すなんてことは、私の能力を超えている。そう思っていた。

 ところが、2015年の発刊の本書のなかで、すでに圧倒的なデータに基づいて示されていたのだった。

 研究者の書いた一般書のなかには、慧眼に富んだものも、博識に感心するものも、整理のうまさに唸るものもあるけれど、本書は、それだけではない「凄み」を感じさせる。並々ならぬ情熱を傾けて、記されたものと思う。

 本書で圧倒的な質量のデータに基づいて示されるのは、私の見とったところでは大きく3つにある。

 ひとつには、内閣府の推計したそもそもの東日本大震災被害額が過大評価であったこと。(筆者の推計では、建物ストック被害額はせいぜい6.7兆円。内閣府推計では、11兆円、ないしは20兆円) したがって、復興に投下する予算自体が過大投下になっている可能性が高いこと。長期限界費用(維持のコストと採算がとれる均衡点)をはるかに超えた建物を作ってしまったため、税金の追加投下なしには維持コストは捻出できず、維持費が確保できない場合、建物は老朽化が急速に進み、結果として多大な負担を背負うことになるだろうということ。

 また、副次的に日本経済全般に及ぼした影響として、以下のように指摘されている。

 大規模な復興予算の策定は、過去10年以上にわたって縮小傾向にあった公共事業が再び拡大する契機ともなった。(163ページ)

 2011年の震災当時、サプライチェーンの途絶などによって日本経済に多大なダメージを与えていると認識されていたが、現実には急ピッチで回復が進み、2011年中にはほぼ回復していた。2012年には雇用も回復しており、深刻なデフレに陥っているという証左はデータ的にもないにもかかわらず、政府は過剰に悲観的な景気判断をとり続け、そのことが、「東北の再生なくして日本の再生なし」という復興政策の加速化へとつながっていった。

 ふたつには、原発事故対応の予算措置を含めた東日本大震災復興政策のチグハグさ。東電への懲罰感情が先だった社会状況と、批判の矢面に立ちたくなかった国側の思惑が合致して、賠償は東電が担うことになったものの、実質的には、国民が負担することになっている。そうしたことを含めて場当たり的やさまざまな思惑が絡んで、復興政策は迷走というよりも、本来向かうべき方向とは正反対の方向へ突き進んでいくことになる。著者は以下のように指摘する。

 ダウンサイジングの方向性を伴う政策提言を実施するには、地域住民の既得権益を奪い取る局面が当然出てくるので、国や県が前面に出て権益の再編成に乗り出す必要がある。地域住民の利害について微調整を専らとする市町村は、そうした政策を実施する能力がそもそもないと考える方が適切であろう。「提言」や「方針」が市町村を復興の主体として位置付けたところで、中央政府はダウンサイジングの復興政策を断念したと考えて差し支えないであろう。(142ページ)

 まったく同感である。その当時、論理的に思考している人であるならば、ほぼ100人が100人同様にダウンサイジングに向かうべきだ、と指摘したはずだ。また、国や県が前面に出て行うべきは、「寄り添う」といった情緒的な対応ではなく、権益の再調整であり、そのための態勢作りであったはずだ。ところが、現実にはそうはならなかった。この点について、同時代を生きた人間として慚愧の思いがあると同時に、我々の失敗として何度となく振り返るべき点であろうと思っている。そして、いまだ復興政策が続く福島県については、今後もこうした指摘に対して、目を背け、耳を塞ぎ、口を塞ぎ、失敗への一本道をたどり続けるつもりなのか、あらためて問われるべきではないだろうか。

 みっつめには、原発事故は「想定外」ではなく、「予測された範囲内の事故」であったということ。これを著者は、第一原発に事故の際に参照すべきとして用意されていた「兆候ベース」と「事象ベース」というふたつのマニュアルを読み解いて、当時の事故の記録と照らし合わせて論証していく。正しくマニュアルに従って作業していれば、避け得た事故である、というのが著者の結論である。非常に説得力のある論証だが、私はそれの是非を判断するだけの知識は持たない。

 ただ、ひとつ確実に言えることは、仮に津波の襲来は「想定外」であったとしても、全電源喪失から炉心溶融、水素爆発に至るまでの流れは、事前に予想されていたとおり、そのままの経緯でしかない、ということだ。これは、私も、事故前に東電が作成していた全電源喪失した場合のシミュレーション動画を見ている。こうなればこうなる、とあらかじめ予測されていたことがそのまま起きただけであり、そこで津波が「想定外」であったかどうかを問うのは、あまり意味がないのでは、と思っている。

 それにしても、これだけのことを2015年に成し遂げられていたことについては、ただ感服するしかない。そして、あまりに明晰に見えすぎるが故の、その当時の孤独感がどれほどのものであったかもお察し申し上げる。その頃の高揚した雰囲気は、いまだによく覚えている。あの空気感のなかでこの内容を公表したとしても、ほとんど顧みられなかっただろうことも容易に察せられる。そして、それでもこれを出さずにいられなかった焦燥感も。その孤独感と焦燥感は、著者ほどには明晰には把握していなかったものの、わずかなりとも私も共有していたものだ。

 2016年3月に「福島のエートス」のサイトに以下のようなコメントを掲載した。

 これは、意識して地域の小さな活動にのみ注力することにしていた私たちとしては、極めて異例なコメントだった。だが、この時期が最後のチャンスだと思った。この時期を逃せば、もはや取り返しがつかない事態になるだろう、と。そして、やはり顧みられることはなかった。

 おそらく、同じようにお感じになっていたのではないか、と思うのだ。自分のなかの切迫感に比して、世はあまりに楽観的に、あたかもすべてがバラ色であるかのように高揚したまま進んでいった。

 結局、私たちの切迫感は、現実の事態を変えることはできなかった。けれど、その孤独感を7年越しに共有できる著書があった、というだけで、少しだけホッとしたのだった。

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