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読書感想文:稲宮康人『大震災に始まる風景ー東北の10年を撮り続けて、思うこと』(編集グループSURE、2021年)と歩く人

 先日、「うつくしま浜街道トレイル」のモデルツアーに参加してきた。知人がコース策定にかかわっていたことから、声をかけてもらったからという理由だけれど、実は、トレイルそのものがなにかもよくわかっていなかった。そして、そもそもでいうと、アウトドア系の活動が好きでもない。それなのに出かけてみたのは、コースが浪江双葉大熊富岡といった、まだ避難指示解除がなされていない地区をめぐるコースだったからだった。

 これらの地域はよく通ってはいるのだけれど、基本的にピンポイントで目的地に向かうか、途中通過するだけで、歩いてみたことは、震災前を含めて、ほとんどなかったと言っていい。歩いて見える景色と、車で通過する景色だけでは見えるものも感じるものも違うはずで、いちど歩いてみたい、となんとなく思っていたので、直前になってほとんど飛び込みのように一行に加えてもらうことにした。

 思いつきの参加だったため、ジーパンにTシャツ、長距離歩ける平底のウォーキングシューズ程度の、かろうじて歩行に適した格好だけはしていったものの、距離については真剣に考えていなかった。ついてから日程をよく見てみると、足かけ7時間半、休憩を挟みながら歩く行程になっていた。最後までついていけるだろうか、と重い気持ちになりかけたところ、私に声をかけてくれた知人が、明らかにウォーキングに不適切な、通勤スタイルとしか思えないジャケットにYシャツ、スラックスに通勤鞄という格好でにこやかに到着した。おかげで、これに比べれば私は用意周到に違いない、と心軽く歩き始めることができた。

 歩きながら聞いた説明によると、「トレイル」というのは、ハイキングのようなものらしく、ウォーキングとも散策とも逍遙とも言い換えられる、とのことだった。いちばんわかりやすいのは、お遍路さんかもしれない。お遍路さんの場合は、札所巡りという目的があるけれど、トレイルは札所や宗教心がない。信心のないお遍路さん、といったところだ。

 トレイルコースは、環境省の事業として策定されている。東日本大震災の津波被災地をめぐるトレイルコースは、「みちのく潮風トレイル」との名称で、青森から福島県新地町まで1,000Kmのコースが既に全線開通しているのだそうだ。

 福島の原子力被災地でもトレイルコースを策定することになって、今回は、本決定前のモデルツアー、という位置づけだった。モデルツアーの他の参加者の方は、トレイル策定を請け負っているNPOや、周辺自治体関係、トレイルに関係する団体の方などで、地元自治体の人もいれば県外の人もいるという構成だった。

 お話ししながら歩いていて、不思議に開放感があって、復興に関係するなかでこの開放感は久しく感じたことがなかった、ととてもなつかしく思った。震災直後2014年頃までの空気感に似ている。あの頃は、被災地に心を寄せているいろんな立場の人が、思惑や利害や縄張りや面子なんて関係なく集い、被災地の未来について語り合っていた。そう、あの頃は、伴走者がたくさんいた。

 トレイルというのは、被災地に旅人を呼び込む「しかけ」のようなものなのだという。お遍路さんと同じように、コースは設定してある。歩くことにもしてある。でも、それ以上の取り決めはないし、目的もない。先行している「みちのく潮風トレイル」では、ふらっと歩いている旅人と地元の人がたまたま会話して、せっかく来たんだからお茶飲んでけ、みたいな出会いもあるのだという。興味深かったのは、地元の人が、旅人になら震災の経験を話す、ということだった。

 被災地に暮らしていると、いろいろと入り組んだあれこれがあり、震災のことについては、その後の復興への思いを含めて、語りづらくなっている。震災経験そのものについても、語りたい人もいれば、思い出したくない人もいる。そういうことが、どこか気詰まりな、地域の閉塞感として漂っている。けれど、ふらっと訪れた旅人になら、思っていることをかえって率直に話せる。雑談ついでなので、どちらも重くなりすぎない。とは言っても、わざわざ被災地のトレイルに訪れる旅人だから、被災地の体験について関心がないわけではなく、一生懸命、話は聞いてくれるし、そこで、なにかを受け取って帰っていく。そんな出会いがあるのだという。

 訪れる人のなかには、震災直後、ボランティアで被災地にやってきたことがある人も少なくないそうだ。ボランティアに何回かは来たけれど、その後は、足も遠のき、関心も薄れてしまった。どうなってしまったかちょっと気になっていて、トレイルをきっかけに再訪して、現在の状況を知ることができた、という人もいるとのことだった。

 その話を聞きながら、ああ、これはもしかすると、新しい伴走者の形なのかもしれない、と思った。つかず離れず、といっても、離れている方が長くて、ついている時間のほうが短い。でも、なんとなく同じ時間を歩いている。ちょっと話したいなと思ったときに、あの場所はいまこんな風になっていてね、と話すことができる。遠くにいるけれど、同じ時間を過ごしていると思える。そんな「伴走者」だ。そして、これは、稲宮さんの写真と同じだ、と気付いた。

 稲宮さんは、震災から10年間、東北三県の被災地に通って、写真をずっと撮ってきた。この写真集は、それをまとめたものだ。被災東北三県とかんたんにはいうけれど、距離にしてみれば、相当なものになる。私も、宮城の閖上あたりまでは行ったことがあるけれど、岩手の被災地には一度も足を運んだことがない。福島からでも気軽に行ってこよう、という距離ではないからだ。その距離を、稲宮さんを神奈川からずっと通われていた。

 写真集のなかの写真は、情感に訴えかけるようなものは、ほぼまったくない。ジャーナリスティックな「狙った」写真もない。人も映していない。黙ってひとりで被災地の風景を眺めている、その視界がそのまま映っているような写真だと思う。「地べたを這い回って一点一点撮る」とは、稲宮さんが本書のなかで語っている言葉だけれど、その場所にぽつんと立った人が、その目線と体温のままで撮ったような写真だと思う。これは、トレイルで訪れる旅人の眼差しと体温と近しい気がする。日常の延長でありながら、どこか非日常、だけれど、やっぱりそれは日常の枠のなかの非日常、そんな距離感だ。

 私は、震災ものの本はほとんど読んでいない。写真集も見ていない。映像は、原発関係のドキュメンタリーはかろうじて見るけれど、津波被災のドキュメンタリーはあまり見ないことにしている。見るのがしんどいからだ。どうなっているのか知った方がいいのだろう、とは思いつつも、ずっと避けてきた。ただ、稲宮さんのこの写真集は動揺することもなく、最後まですんなりと見通すことができた。自分にとっては、このことがいちばん大きな驚きだったかもしれない。たぶん、これは伴走者として歩く人の目線で撮られた写真だったからだと思う。

 センセーショナルであったり、ジャーナリスティックであったりする写真は、外の人の興味を引くための写真だから、おのずと、見せる対象として外側の人を措定することになる。それはそれで意義がないとはいわないけれど、立場が違えば、誇張しているとか、煽っているとか、そんな風に感じられてしまうのはやむを得ないことだ。

 写真と一緒に載せられている被災地の状況への解説も、的確だ。原発事故被災地の状況については、私から見ていて違和感を感じるところはまったくなかった。私は、津波被災地の状況についてはさほど詳しくもないけれど、稲宮さんは津波被災地の状況も抑えているのだから、すごいと思う。被災地を歩いてみようかな、あるいは、既に歩いてみた方は、この写真集はとても参考になるのではないかと思う。歩きながら見えてくる景色が映しだされているし、外から眺めているだけではわからない解説は文章で書いてくれている。

 10年経って、あのときの高揚はまったくなくなった。あのときの高揚が、どんな経過を辿ってどんな現在地にあるのか、歩く人の目線で見られるこの写真集が出されたのと、トレイルのような新しい動きが起こってきたのはきっと偶然ではない。いままでの温度の高い、けれど、どこか排他的な息苦しさを強めていく復興は終わったけれど、高揚がなくなったなら、なくなったなりの、より日常に溶けこんだ形が求められているのだろう。関心は薄れているとはいうけれど、10年前の衝撃とその余波は、水面下でまだ残っている。その出来事について語っても、誰の心も波立たない、そんな時が来るまで、それをそう意識するかしないかは別として、被災後の時間は流れていく。10年目のマイルストーンとして、この写真集を見られたことに感謝したい。

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