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ニュース✔︎:コミュニティなき地域社会とは?


 29日に復興大臣が福島県を訪問し、そこで避難十二市町村と懇談会を持った関連ニュースです。
 以下に書かれているとおり、数十兆円が投下され、これからさらに何兆円と投下される予定の福島復興政策であるのに、広域的・長期的な地域再生をどうしていくか、という議論はほぼなされてきていません。そのことの異様さを誰も指摘しないで、あれを作れ、これを作れ、人が戻らないならお金を配れ、それがだめなら国際拠点だ、という施設をつくる話ばかりが出てくるのは、どう考えてもおかしくないでしょうか。

懇談会は、復興庁と県の共同開催。12市町村が抱える課題を国、県と各市町村の首長が会して協議する場として初めて開いた。国と県はこれまでも12市町村の将来像に関する有識者検討会などを開いてきたが、近年は各首長が一堂に会する協議の場がなかった。

福島民友記事より

 上記の記事のなかで、大熊町長が放射線量について言及していることに触れられています。ご指摘のとおりで、拠点外は放射線量がこれまでに比べれば高いことはわかりきっているのに、これまで放射線量にかんする議論はほぼまったく行われてきていません。

大熊町の吉田淳町長は、方針が決まっていない拠点外の除染について「拠点外は比較的放射線量が高いことが想定される。今の段階から試験的な除染を進めておくことが重要ではないか」

福島民友より

 ちなみに、政府の打ち出している「手挙げ方式」でも、放射線量について触れず「除染する」としか書いていません。けれども、「除染」では対応しきれないレベルのものがあることは、すでに行われている除染検証委員会の議論を見れば、明らかです。近く解除予定の場所は、都市型の住宅地などが多い地域になりますから、再開発的手法によって線量を一定程度は下げることはできますが、山村になれば、再開発的手法は使えないと思った方がいいでしょう。
 そうした議論がいっさい行われないで、住民に寄り添う、とか「きもち」の問題に落とし込むのは政策対応として不適切としか思えません。

 以下の第7回、第8回あたりの議論をご覧いただければ、私の指摘していることの意味が理解していただけるのではないかと思います。

 朝日新聞の復興大臣への質問が記事になっていました。記者さんのtwの方が内容が細かく書いてあるので、そちらのリンクも貼ります。(朝日新聞の記者さんには、ネットではなにかとすぐ叩きたがる人がいるのですが、そういうことはしないようにしてください。私は、ネット上の晒し上げリンチは、主義主張かかわらず大嫌いです。)

 肝心の内容については、復興庁のサイトで資料が掲載されていました。

https://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat1/sub-cat1-4/20220530_kikakuchosei3.pdf

 これを見て、違和感を感じられないでしょうか。
 コミュニティの再生についての施策や文言がほぼないのです。言い訳程度に「コミュニティ形成」というひとことだけ入っていますが、具体策はありません。
 これも2015年頃に欠落し始めた観点だと思います。それまでは、多少はコミュニティ再生についての目配りがきいていたと思います。住民不在の行政目線だけの復興施策だとこうなってしまう、ということだろうと思います。
 確かにもとの住民は戻らないかもしれませんが、ならば、新しいコミュニティを形成しなければ、地域社会が成立しません。コミュニティは放っておいて自然にできるようなものではないですし、社会状況が激変したなかで再構築するならばなおさらです。都市計画の段階から考えるべきでしょうし、また、制度的な工夫も必要となるでしょう。
 このままでいけば、住人はまばらにいるけれど、コミュニティは存在しない、巨大工場や施設ばかりが立ち並ぶ、異様な地域社会ができあがってしまうように思います。

追記:上記復興庁資料には、「一括計上予算」となっているので、復興予算が政治的な駆け引きの道具になっているのでは、という見込みはあたっているのだと思います。誰もが予算欲しさに政治的打算で動くようになり、予算をぶんどることに長けた人ばかりが大手を振るようになってしまう、この予算配分のしかたそのものが復興政策をゆがめていったのだ、と思います。


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