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キッチン&バー808

2022年12月25日

メリークリスマス!🎄
早くも2022年最後の通信となりました。
皆さん今年も本当におつかれ様でした!
売上が戻ってきて忙しい中、全員で協力して『オムライスで幸せを拡げる』事ができました。

具体的な振り返りと来年の目標は、次回の通信で書くことにしまして、、
今回は私(TGK)が過去にやっていた別事業を振り返る回としましょう。

【キッチン&バー808】

2011年1月。
たまごけん2店舗目「東池袋店」がオープンしました!
そしてその年の3月、東日本大震災が起こり、創業の神田店を閉店。
元々、東池袋店は任せられる体制が整っており、神田店メインで現場に出ていた私は、突然時間が空いてしまいました。

その間に、10月に事業を法人化しつつ、次の拠点を探していました。
池袋周辺で物件を探して歩いていた時、
西口で「テナント募集」の貼り紙を発見しました。
問い合わせてみると、造作料なし・家賃10万円と条件が破格だったため、借りる事にしました。
狭い店舗でしたが屋上もあったので、たまごけんの倉庫としても使えると思ったのです。
(今は、「牡蠣五坪」という店になっているようです。
https://goo.gl/maps/MpWRJ1jXG7K6Sa9g8

とりあえず借りてはみたものの、さて何をやるか?
裏路地2階という立地だったため、たまごけんとしては厳しい。
そこで、BARをやってみる事にしました。
お酒作りは全くの未経験でしたが、
当時「将来はタイのビーチリゾートでバーをやりたい!」という夢があったため、その経験を積んでおくためです。

バーを始めるにあたって、まずは近隣のバーを夜な夜な飲み歩いて、メニュー構成や価格設定、カクテルの作り方などを教えてもらいました。
「今度、西口でBARをやるんですよ。」
と話しかけると、バーテンダーの方達はとても親切で丁寧に教えてくれました。
その人達とは、オープン後も度々店に行ったり、店に来てくれたり、といった関係が続いて楽しい時間を過ごせましたね。

そして、コンセプトを私が好きな「リゾート」にして、フードはピクルスと燻製料理をメインに、ドリンクはリゾートっぽいラム系やフルーツカクテルを多めに揃え、店名は「キッチン&バー808」としました。
私が1980年8月生まれ(19「808」)だったことと、リゾート代表ハワイのエリアコード(市外局番)が808だということでその店名にしました。

2011年12月オープン!

当時の看板
フードメニュー
ドリンクメニュー

※当時の記事がまだ残っていました。
西池袋にピクルスと薫製料理メーンのバー「808」-神田たまごけん店主が新業態
https://ikebukuro.keizai.biz/headline/418/

※オープン当時の様子(動画)
https://youtu.be/GxezbOfXhao

基本は私がワンオペで営業して、月曜日だけたまごけんスタッフだったマイマイに任せていました。
マイマイ(米沢くん)は、たまごけん創業前からの友人で、神田店創業時のオープニングメンバーとしても活躍してくれました。
彼は明るい性格で友達が多かったため、月曜日はいつも賑わっていました。
今は、実家の岩手で家業を継いでいます。

左手前がマイマイ

最初は、私の知り合いやたまごけん関係者で賑わいましたが、しばらくすると暇になり、18時~翌3時までの営業でしたがノーゲスの日も出てくるようになりました。
客単価は3000円で、10人来て3万円売れれば良い方、普段は1万円前後といったところで、月商は50万円くらいでしたね。
赤字です。

私は昼たまごけん、夜はバーという生活が続いており、10時~翌3時までほぼ休みなしで働いていて、当初は結構キツかったのを思い出します。。
とはいえ、バーは暇な事が多かったので、お客様がいない時は会社の事務作業に当てたり、奥のソファーで仮眠をとったりしていました。

今思い返すと、当時は本当にしょうもない生活をしていたな、と思いますね。
店が暇だと、一人で店の酒を飲んでタバコを吸いながらモニターでずっと映画を観てましたからね。。
店終わりにお客さんやバー仲間達と飲みに行くことも多く、朝9時くらいまで飲んで、寝ずにそのままたまごけんで働いたりしていました。

完全に夜型生活だったので、たまの休みにやることは、友達やスタッフとクラブに行ってまた飲んだくれる日々。
毎日がどんよりしていて、正直当時の記憶はあまりありませんw
久しぶりに会った友達に、「あの時808であんな話したよね~。」とか言われても、ほとんど憶えていないのです。。
店は赤字だし、経営者として全く生産性がない生活をしていました。

そして1年位経ち、バーの運営にも飽きてきたのでしょうか、人を雇って任せる形にしていきました。
赤字なのに。。

アルバイトスタッフ

しかしそれも長くは続かず、2013年8月。
約1年半で店を閉める事になりました。

事業的には完全に失敗しましたが、、
それでも楽しい事はたくさんありました。

○近所の飲食店仲間ができたこと
 →そのうちの一人は、後にたまごけんの社員となり、秋葉原店の立ち上げ店長となって活躍してくれました。

当時仲良くなった人で、今でも関係が続いている人もいて、度々池袋の情報交換をしたりしています。

○バーをきっかけに、懐かしい人達と再開できたこと
→「バーを始めた」というと、疎遠になってた人達とのきっかけになって、出会いが広がりました。

○バー運営の経験を積めたこと
→人生は、経験です。
 「バーを運営した」という貴重な経験は、何事にも代えがたい財産となりました。


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