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全ては遠い過去

母の衝撃の告白によって何かが劇的に変わるのかと思いきや、
私の大学生活はそのまま継続されました。少々朝帰りが減ったこと、母の小言が減ったこと以外は何も変わりませんでした。
ただ、事実が明らかにされた後も母たちはお互いに行き来することはなく、
私も兄姉たちと連絡を取り合うことはありませんでした。

ですから、産みの母が亡くなったと知らされても特に感情が動くこともなく、
葬式に行くことも最初は乗り気ではありませんでした。

葬式の案内を受けたのは、前後して亡くなった母の弟にあたる叔父さんの葬儀の席だったのですが、「外せない予定があって、申し訳ありません。」と、断ろうと思っていました。
火葬ってなんとも間の悪い時間です。することも話すこともなく、親戚数人と薄いお茶などすすりながら、私の口からは思いがけない言葉が出てしまいました。

「で…私って、要らない子だったの?」

一瞬、みんなが顔を上げました。
一番下の叔母さんが
「何言ってるの?誰がそんなこと言ったの?遠山先生がどうしてもってミカちゃんを迎えたがってたんだよ。みんな知ってることだよ。」
従兄妹も「要らない子なんかじゃなかったよ。横手の母さんもミカちゃんにいつもいつも会いたがってた。」

遠山先生とは、私の育ての父のことです。

一同、我れ先にと説明しはじめたことには
遠山先生は15歳も歳の離れた母と再婚したため、子どもができなかったと言います。遠山先生は長年小学校の先生をしていました。子供が好きで、当時にしては型破りな教育法で、熱血先生だったと後日聞きました。そんな遠山先生は自分の子どもを心から欲していたそうです。
そんな時、母の妹に7年ぶりに赤ちゃんができたと聞き、実の子として届けるから(昔は戸籍も操作できたらしいです。後々、いろいろな場面で戸籍謄本が必要になりましたが、養女ではなく長女と記載されていました。)と切望し、私を引き取ったそうです。

なんてことでしょう!

母は真実を教えてくれないまま、20年前に亡くなっています。
横手の母さんもその後も私と連絡を取ることをせず、何も語らずに鬼籍に入ってしまったのです。

二人の間にどんな取り決めがなされていたのか、今となっては知る由もありませんが、
この日、私の心の底に沈んでいた泥は私自身の涙で流れていきました。


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