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生き直したい!

私はいつも
受講生ファーストで行動していました。
教員時代の教育目標がその後の人生にも大きな影響を及ぼしていたといえば聞こえはいいのですが。。。

個を生かす
個性の尊重
生きて働く学力を育てる

などなど、ゆとり教育も重なり、教育界の流れがちょうど現代2020年代の世界観の前フリみたいな時代でした。
個を生かす…耳に心地よい言葉でしたから、私はそれを絶賛して、その目標に到達すべく日々、個の観察ノートみたいなものに翻弄されていました。
これについては深く触れませんが、この時期の教師生活で体得した価値観は後々までも私のテーマになってたらしいのですね。

成人のカルチャー講座は、受講生の価値観も目的も一緒ではありません。
子供のように純粋に指導者について来てくれるわけでもありません。
それでも私の熱量に引っ張られて、受講生さんたち(私より年上の方も半数ぐらい)は毎年毎年大きな舞台に立つべく、私の昭和な指導にもついてきてくださいました。
結局10年続いたんです。定期演奏会的なものが。
バレエとコラボしたり、ゲストダンサーをお招きしたり、最後は自分達だけでミュージカルもどきをしたり…

市の芸術文化協会に加入して、経費をできるだけ抑えたとは言いながら、10年間自腹で演奏会を開催するのは大変でした。それでも、私の心の中では常に「個を生かす」という大きな目標がありました。
確かに人を生かしたかもしれない。でも、私は???
私はこんなに頑張ってきたのに…
みんなの笑顔を引き出したのに…

なんだろう?この虚無感は。。。

この10年、私は生かされたのだろうか?

それをいえば、
この地区のあの人!という先輩と一緒にオペラを再演するにあたって演出に携わった時も、先輩を生かしたいと思った。
世界的に有名なバリトン歌手の口車に乗って、レクイエムを初演することになり、実質ゼロから合唱団を公募して指揮者となった時も、地域活性化のためにというバリトン歌手の志を信じた。
どちらも最後は煮え湯を飲まされました。

もういやだ。

私は誰かを生かす人生から降りたいです。

私が生かされない私の人生って、なんか、おかしくない?
そう思った時、個を生かすより先に、自分を生かしちゃダメ?と思ってしまったんですね。
教員として、指導者として…もう充分頑張ったんじゃない?
60歳をゼロ歳としたら、今から自分の人生、生き直していいですか?

ここから私の生き直しが始まるわけです。

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