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嫌いな人、苦手な人

2月15日(水)
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おはようございます。
投稿時間的に絶対違うと分かっていても挨拶を変える気がない桑田です。

さて。
今日は、「嫌いな人、苦手な人」というテーマでお話したいと思います。

今日、学校で進路ガイダンスがあり、そこでの話で「確かにー」でも、「それ、もうなくなるかも」と思ったことをお話しします。

▼3学年0学期と言われる”今”
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転勤して、あっという間に2年が経過しようとしています。
時間を短く感じるようになっているということは、それだけ生きてきた時間が長くなってきているということだと思います。
これからどんどん1日や1年が短く感じると思うと『今』の大切さを痛感します。

話が逸れました。

今、僕は2学年の担任をしているわけですが、2学年のこの時期というのは、3学年0学期と言って生徒たちに進路選択・進路決定に向けた準備を促す時期になってきます。
そのため、今日は「進路ガイダンス」と称して、進路への意識を高める講座を設けました。

その最初の全体会であった話が印象に残りました。

▼高校時代にいた「ミトコン」の話
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講師の先生は、宮城から来てくださったんですが、とても話の面白い方でした。
その方の話の中に、「高校時代に嫌いな先生がいた」という話がありました。
その先生は、生物の先生だったのでミトコンドリアから「ミトコン」と名付けて、よく揶揄していたそうです。

そう。
僕たちが高校時代には、少なからず『嫌いな先生』や『苦手な先生』がいました。
ある意味、ちょっとした『名物先生』でした。

皆さんは、その先生たちとどう接していましたか?

僕は…逃げてたかな〜笑

講師の方は、嫌いな先生だからこそ、自分から笑顔で話しかけていたそうです。
その方が面倒くさくならず、結果的にそこそこいい関係を作れるからだったそうです。
「大人だな〜」って思いました。

僕自身、そう考えられるようになったのは、いつ頃かもわからないし、それを今も実践できてるとは思えません。

そして、今、笑顔で接してくれてる生徒がこの講師と同じ考えだとしたら、僕はその笑顔にまんまと騙されてることになると、ちょっと怖くなりました。

▼高校生活にある価値
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー高校生活にある価値は、勉強も部活も友人関係も遊びも全部だとおっしゃってました。
そして、この嫌いな先生との接し方を学ぶことも大切な価値なのだと。

確かに、「苦手な人」や「嫌いな人」との接し方は、社会に出てから身につけるより、学生時代に身につけておきたいもの。
社会に出たら、そんなことは言ってられない。

そう痛感していたんですかね…
僕は二十代の頃、高校の教員として、どんな会社のどんな上司より無理難題をふっかけ、厳しくて嫌な人になることを目指していました。
それが生徒のためになると思っていたからです。

でも、今は違います。
できる限り、わかるように説明し、努めて笑顔で接するようにしています。

二十代の頃の僕のやり方は、あまりに時代に逆行していたし、たくさん生徒を傷つけたし、僕も傷ついたからです。

あの頃に比べたら、本当に本当に嫌味を言う先生が減ってきました。
「嫌われる人、苦手になる人」がめっぽう減りました。そして、生徒たちの「嫌い」や「苦手」のハードルがどんどん下がっています。

そして、それなのに保護者が援護射撃して、生徒の成長にはつながっていないように感じます。

高校生活の価値のひとつが消え掛かっているように感じます。
その分、高校生活に何かプラスの価値ができていたらいいなーと思います。

少子化の未来…
高校の教員はこれからどうあるべきなのか?

見えないからこそ、不安だし、楽しみです。
見えないからこそ、見てみたい。

やっぱり生きてるって、楽しいですね。
悩み多き日々ですが、こんな僕をどうぞ応援の程、何卒宜しくお願い致します。

【追伸】
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