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【vol.34】note開始一周年記念

久しぶりに開いてみたら「1周年記念」みたいなバッジを取得した通知が来ていた。noteを始めて一年が経っていた。あっという間であった。1年前の今、どんな感情で溢れていたかも思い出せるほどに少し前のように感じる。もちろん生きている最中は時間の長さに嫌気が差しているのだが、後から思えば全ては一瞬である。むしろ本当に起こっていた事象なのかすら怪しい。自分の思い込みや妄想は何割含まれているのだろうとたまに自分を疑ってしまう。
というのも、私は一度、自分で撮っていない写真を本気で自分が撮ったと思い込んでいた時期があった。冷静に考えたら自分が撮っていない証拠があちこちに散らかっていたのですぐにその事実を受け入れられたが、“それ”が起こってからは自分は思い込みを事実に書き換えてしまう脳をしている人間だと思うようにした。

“思い込みを事実にする”
これができる人はとても都合よく幸せになれる人か自分勝手に近い人だと思っていたが、自分もそこに含まれていることにひどく落ち込んだ。しかも自覚症状ナシ。病気かと思った。
もっとハッピーなことだったらいいよ。「僕は幸せ!」という概念的な思い込みを本気で信じられたら脳は幸せだと錯覚するのかもしれない。日々が楽しくなるのかもしれない。しかし私の場合、大きなジャンルで振り分けたら「嘘つき」と変わらない。それが本当に嫌だった。嘘は故意につくから面白いのに、無自覚でついていたら本当に心配の方が強くなってしまう。
精密検査、受けたい。


気付いたら1周年とか関係なくなっていた。
いつもの如く脱線の嵐、無自覚にも文脈を荒らし、
オレには病気の疑いがあるし、すぐ行け脳系ファーマシー。

韻を踏んで遊ぶの、すき。文字で見るラップってめちゃくちゃダサく感じる。
私のは口に出してもダサい。


私にしてはたくさんの文を綴ったなあという印象。vol.34て。そんな続けるとは。
そのとき思ったことを文脈脈絡関係なく記すだけの散文の数々。むしろそれだから続いたのかも。
好きに書く文章がやっぱり一番楽しい。たまに恥ずかしくなるけど、私はこういう人間なんだよーって仲の良い人にはわからせたいし。

これからも気が向き次第更新されるであろうこのアカウントをどうぞよろしくお願いいたします。

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