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しがらみから開放されて、今あらためて思うこと。

本を読むことの醍醐味のひとつは
普段、自分が漠然と感じてはいるが
どう表現していいのか分からない
言葉にはできない感覚を、
見事に言い表してくれている
文章に出会えた瞬間だ。

そして、
言葉は数珠つなぎのように
先へ先へと繋がっていく。

ブレイディみかこさんの本の中に
レベッカ・ソルニットという女性の書いた
『説教したがる男たち』という本が登場する。
面白そうな題名だなと思い、すぐに購入した。

ありがたい事に
現在の私の半径1m以内には
そういう男性はいなくなった。

へー!、凄いですね!、勉強になります!
(それって、○○の本に書いてあったこと、
そのまま言うたはるやん)。

白々しいリアクションを取るこの時間。
これは、いったいなんの修行の時間?

ご満悦に演説を続ける脂っぽい顔を
なるべく直視しないようにしつつ
チラチラと時計を覗きみる。
若い頃によくあった話だ。

それでも、可愛げが無いとか、
頑固だとか、おじさんウケは悪かった(笑)。

沈黙する女性を
自分に感心して話を聞いていると
なぜ勘違いするのか。

結局、全てはこれに尽きる。

しがらみから開放されて、
気ままな生活を満喫できるようになった今
あらためて考えさせられることが多い。

この著書の中に引用されている
ヴァージニア・ウルフの『燈台へ』
の一節に釘付けになった。

ここに私がいる。鳥肌が立った。

いまはもう、だれのことも考えなくていい。
自分自身で、ひとりきりでいられる。
近頃はそうしなくてはならないと思うことがよくあった。
考えるために————いえ、
考えるためですらない。
黙っているため、ひとりになるために。
あらゆる存在や行為、拡がりをもち、
きらめき、声を発しているものは蒸発してしまった。
そのとき人はある種の荘厳さをもって
自分自身になり、楔形の闇の中心へ、
ほかの人たちには見えないなにかへと収縮していく。
背筋をのばして腰かけ、
編み物を続ける間にも、
心の中ではそんな風に感じていた。
そしてくっついているものを
すべて取り払ってしまうと、
自己はどんな不思議な冒険でも
自由に受け入れることができる。
生命が少しの間動きを止めると、
経験できることの範囲は果てしなく思える。(中略)
その下には闇が四方に広がっていて、
底知れない深さだった。
でもときどき私たちは表面へと
浮かび上がってくる。
それが、他人から見た自分というものだ。
地平線は果てしなく拡がっているように思えた。



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