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食べる、生きる。

故人のお顔を見たあとでも、悲しみのなかにいても、おなかはすく。人の死に直面してよく食欲がわくもんだなと言われても、わたしは食べる。

わたしにとって「食べる」ことは、「生きる」ことにほかならない。

食べものをつめこんでは吐いて、またつめこんで。10年以上の歳月を費やしてそんなことを何百回とやってきた。

血肉となる食べものを口に入れることが「生」ならば、食べたものを故意に吐き出すことは「死」と言えるかもしれない(とても極端だが)。
わたしはあの頃、人知れず小さく、「生」と「死」を繰り返していたのかもしれない。

そして、「生」を実感したくて、ひたすらに食べていたのかもしれない。

いまだに「食べる」ことへの執着はすさまじくて、それは単なる食いしんぼうのレベルではないなと恐ろしくなる瞬間はある。ひたすらに食べることは、今でもある。

必死で食べている時、きっとわたしは必死で生きているんだ。



わたしもいつか、かならず死ぬ。その日がくるまでわたしはきっと食べている。死ぬ直前まで、きっと大好物のあんこを食べている。

だけど、まだ死なない。生きる、食べる。

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本日出先でいただいた、あんみつ。職人気質の寡黙なパティシエが作るこのあんみつ、作り手と同じく多くは語らないが、口に入れると威勢のよい生命力が飛びだす。

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