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愛するあなたは、宝石だった。

梅雨が明けて、夏。やってきたばかりの夏には申しわけないのですが、暑さに強くないわたしは、早く夏終われ~と何度も胸の中でひとりごちています(笑)

さて。先日仕事で、あるかたの川柳・俳句を読ませていただく機会がありまして。まだお会いしたこともないのに、詠み手の心の機微に触れられるのが興味深くて、勝手に親近感を覚えているところです。
なかでも、奥さまのことを詠んだ句が多く、ああなんだかいいなぁと、しみじみあたたかい気持ちになるのでした。

それでね、ふと、学生時代(もうかなり前)にお世話になった教授が、今どきのラブソングなんかより万葉集の和歌のほうがよっぽど愛があって情熱的だ…と、講義の終わりにぽそりとつぶやいていたのを思い出したのですよ。

というわけで、愛を伝える歌はこの世に数多あれど、わたしが思う究極のラブソングはこれ!という和歌を、万葉集からご紹介します。

万葉集の和歌は大きくわけて、相聞歌(恋のうた)、挽歌(死者を悼むうた)、雑歌 (それ以外の種々の歌)の3つがあることは最初の記事でお話しましたが、その究極のラブソングは、相聞歌でなく挽歌に分類されている、詠み人知らずのこの和歌。

玉梓(たまづさ)の 妹は玉かも
あしひきの 
清き山辺に 撒けば散りぬる
(巻7・1415)

愛する妻は宝石だったのか、
きれいな山のほとりに遺骨を撒いたら
散らばってしまったよ。

「玉」とは宝石のこと。散骨は当時身近な葬送方法だったようで、山に撒いた妻の遺骨を宝石になぞらえて詠んでいます。(いくつかの真珠に紐を通した飾りなどをイメージすれば、「撒けば散りぬる」ようすが思い浮かぶのではないでしょうか。)

遺骨を宝石にたとえるなんて、作者はほんとうに妻を愛していたのでしょうね。作者にとっては妻そのものが美しい宝石だったのでしょう。
妻への愛と、そのいとしい妻が自然にかえってゆくことへの寂しさが鮮やかに表現されていて、歌のなかのふたりの世界に浸ってしまうほど、歩いていても思い出したら歩みを止めてしまうほど、美しく切ない和歌だと思います。

余談ですが…。この和歌について教授がどんな解説をしていたかまったく覚えていないうえ、テキストにはよくわからないメモが(笑)。でもきっと、当時の若かりしわたしも、何かを感じてメモを書いていたのでしょう(しかし解読不能…)。

なんだか長々と語ってしまいましたが、それほどこの歌はわたしの琴線に触れた歌で、万葉集を知らない人にも知ってもらいたいと思う一首です。

好きだよとか愛してるとか、ストレートな言葉でうたいあげる歌もステキですが、こんなふうに間接的に、けれど豊かに愛情を表現する歌も、奥ゆかしくてステキだなぁと思うのです。

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