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セルフケアとは、歯を磨くことと見つけたり

昨今、「自分の機嫌は自分で取る」であったり、セルフケアの大事さが叫ばれているなかで、わたしは大声でこう言いたい。

セルフケアとは、歯を磨くことである!!!!

は?そんなの当たり前では??と思われた方が多いと思われる。だからこそ言いたい。当たり前のことを当たり前のように出来ていることこそがケアであると!!!

恥を覚悟でここに告白したい。わたしは以前、口腔環境が最悪だった。理由としては2つ挙げられる。ひとつは、幼い頃に歯医者にかかり、「痛かったら手をあげてね」と言われて手を挙げたにも関わらず手を止められなかったのが完全な恐怖体験となり、学生時代はもちろん、大人になってからも歯医者をことごとく避けていたこと。

そしてもうひとつは、そういった外部のケア(歯医者に通院する)に頼らないにも関わらず、正しい歯磨きの仕方が一向に分からず、いやもっと正直に言うと、衛生観念も正しく身に付かなかったためである。

ドン引きされた方も多いと思う。多くの人は、たぶん小さい頃からの日々の積み重ねで「自然と」そうした習慣が身につくのだと思う。しかし残念ながら私は全く身に付かなかった。なぜなら、そういうことを自然と身につけるために必要な「他者の目(幼い頃は、特に親)」がなかったからである。

私の両親は、ケア全般に敏感でない方だったと思う。たとえば、清潔な服を着ること、体をちゃんと洗って拭くこと、髪の毛を整えること、そして、歯を磨くこと。正直、ここに書いて良いのか躊躇うレベルで、大人になるまでに身に付かなかった多くのことがある。

自論だが、自分で自分をケアできるようになるために欠かせない最初のステップは、まず周りが察してケアをしてもらう、という体験をすることだと思う。

たとえば赤ちゃんが、「あー今自分漏らして辛い。おしり拭かなきゃ」となるだろうか。ならないだろう。なったらちょっと怖い。

まず、周りが赤ちゃんの不快感に気づいてケアをし、気持ちが良くなるという体験を通して、自分で対処しよう、もしくは対処できるかも、という感覚を得ていくのではないかと思う。

以前の私は「歯を磨いたらスッキリする」という感覚や、「歯を清潔に保たないことで損なわれるものが何か」(たとえば周りにどう思われるかとか)、ということが、本当に、「分からなかった」のである。何度でも繰り返すが、そして言い訳のように聞こえるかもしれないが、本当にそういう当たり前のことを知らずに生きてきたのである。当たり前のことを当たり前のように身につけるためには、実はものすごい労力がかかっている。

だから、いま自分は色んなことが出来ていないと思う人に、わたしは胸を張って言いたい。
「あなたは多分わたしよりちゃんと歯が磨けています!」と。それはあなたの記憶になくとも、周りの人の繰り返しのケアや、あなた自身の努力があってのことである、と。

歯をちゃんと磨けていないという人は、寝るとか、いま自分が出来ていることに変換してください。

さて、今のわたしはどうかと言うと、歯医者にかかり、相変わらず歯磨きが十分でないところを指摘されつつも、自分でフロスをかけるまでに成長した。

最低限、いやマイナスからのスタートをしているわたしからいま一度言いたい。セルフケアとは、歯を磨くことであると。

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