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思いの器

「西郷どん」における西郷隆盛は「人々の思いを受けとめ得る器」である、というのは一部のツイッター民による分析なんだけど、これでこの物語における西郷隆盛の正体が明確になった!!くらいの重要概念の発見でした。(私の発見ではなく、他の方、あるいは他の方達による発見です)

西郷は持って生まれた巨躯と共感性という魅力で思いの器となり、もう一つの思いの器となる一橋慶喜は高貴な血筋と才覚という点で西郷と違っていて、島津久光は思いの器にはなれないという点で、西郷・一橋双方と対照的な位置に立つ。

真田丸で真田昌幸・信之・信繁に徳川家康が物語を代わる代わる引っ張っていったように、直虎ではおとわ・徳川家康・今川氏真がそれぞれの思いから本能寺の編に関わっていく様が描かれていたように、西郷隆盛・一橋慶喜・島津久光がこの物語の主人公で、これから多分それぞれの成長と変化、関係性の変化が描かれるんではないかなあ。

昨日の26回では、久光が自分の器を越えようと必死だったし(別エントリでも書いたけど、久光は暗愚に描かれているわけではないよ)、久光の苦しみに西郷は共感し始めているように見えたし、ヒー様が二心様になる瞬間を見てしまったよね。

そんな中、まるで毒親のように一橋慶喜をコントロールする孝明天皇の存在感が不気味だったなあ(思いの器の危うさですよ)。

今年は意外と天皇の黒幕力を発揮するのかもしれない。今後を楽しみにしたいと思います。

大久保さんのことは、昨年でいうと六左なんじゃないかと疑い始めている。

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