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イタリア研修時代のこと②

ソムリエ研修メンバーは20人弱位だったと思います。成田集合で「初めまして、よろしくお願いします」です。歳のころは23〜30代後半くらい、男性7割くらいだったかなと思います。

私はお店にいる時はキャピキャピしていますが、こうゆう時は自分から絶対に話しかけられないタイプで、特にこの時期は『一人でいたいです!』オーラを自分なりに強く発揮していたと思います。(若気の至り!)ですので、特に誰かと話を交わす事なく、本を読んだり音楽を聴いてイタリアまで過ごしました。

イタリア研修は全部で6ヶ月間。初めの1ヶ月間はトリノで座学とイタリア国内3ヶ所の研修旅行に行きます。

トリノではメンバー全員で同じホテルに泊まり、1日中お勉強。講義はイタリア語で行われますが、通訳の方がついてくれていました。人の名前を覚えられない私が、今、奇跡的に思い出しておりますが、彼女の名前はイケダミユキさんという方でした。小柄で溌剌としたショートカットのお姉様。とてもわかりやすく通訳をしてくださり、授業と研修はびっしりと彼女の通訳がついてくれていました。

ランチは近くのトラットリアへみんなで行きました。庶民的なお店でパスタ的なモノとドルチェを2、3択から選び、カフェで〆ます。ワインも飲んでたかな?
『イタリアワインは食事と切り離せない』というのが根底にあるので、これもまた勉強。皆真剣に向き合っていました。

私は恐らく他のメンバーよりもワインの知識が乏しく、経験も浅かったと思います。母から借りた100万円と自分で貯めた幾らかの全財産を握りしめてやってきたということもあり、猛烈にワインとその文化背景、イタリア語の勉強に励みました。

ただ、いくらやってもワインの知識は周りに追いつかず、ワインの話となると銘柄が全く出てこないのでついていけず、トホホな気持ちになっていました。
ですので、飲んだワインはできるだけラベルを剥がし、ノートに貼り、生産地域、生産者名、品種、テイスティングコメントを記しました。(当時はスマホがないので写真が撮れない!)
ワインもなるべく自分で買いました。休みの日は一人でワインの生産地を巡りました。トリノを拠点としていたので、そこから行ける範囲の自分が最も気になる地域へ出かけ、トラットリアでその地域の料理とワインを食べ、メモを取りました。興味はワインだけだったので、観光は全くしませんでした。アオスタ、アレッサンドリアには一人で行った記憶があります。

そんなふうに割と一人で楽しんでいたら、一緒に出かけたい!と言ってくれる人が出てきて、リグーリアやバローロにも行きました。

バローロでは当時の私はまだ知らなかった偉大な生産者【ジョゼッペ・リナルディ】のワイナリーを偶然見つけ、何も知らないからできることですが、なんとアポなしでピンポン!多分、あの方はジョゼッペさんだと思うのですが、、、。ワイナリーを見せてくれ、その途中なのに「バスが来る!Ciaoーーーーー!」と言って帰るという荒技をやってのけてしまったのです。後に、そのワイナリーがとてつもない所であったことを知り、悔やみまくりました。日本人の印象が悪くなってないといいのだけど。。。

次第に友達もでき、講義の後にバルでアペリティーヴォを楽しんだりしました。(トリノのバルでは日暮前のハッピータイムのようなものがあり、一口サイズのおつまみみたいなのが食べ放題だったりします。)

友人たちはワインのことだけではなく、イタリアそのものが好きな人が多かったのが印象的でした。地方の食文化や伝統工芸などのこともよく教えてくれました。

研修旅行はヴェネトのコネリアーノ。トスカーナはキャンティとフィレンツェへ。シチリアはパレルモに行きました。楽しいというよりも、食べるのが辛い…。ワイナリー見学、テイスティング、ランチ(ほぼフルコース)、ワイナリー見学、テイスティング、ディナー(フルコース)…。

コネリアーノではグラッパの工場にも行ったので、友人とグラッパを飲みまくったことを覚えています。トスカーナではフィレンツェに滞在したので、街の美しさに圧倒されました。すり鉢状の広場でゴロンと横になりました。パレルモではアフリカ文化も色濃く、街の色使いが鮮やか!ただ、街がキレイではなかったのがショッキングというか、北イタリアとの差を見せつけられました。マルサラのワイナリーは大きくて、『工場!』という感じでした。

トスカーナのマルヴァジア種パッシート小屋の中
トスカーナのマルヴァジア種パッシートのアップ

友達もできて、楽しくなってきた頃にはトリノでの研修期間は終わりに近づき、いよいよ各自が各レストランに派遣されます。このトリノでの生活っぷりを見て、どの派遣先がいいのかを割り振っていくとのことです。この宣告は結構ドキドキします。

私の派遣先はロンバルディア州のガルダ湖(イタリア一大きな湖)にある【トラットリア・ダ・オスカル】でした。そこは家族経営で、トラットリアの隣に住まいがあります。私もホームステイのような形で5ヶ月間お世話になることになりました。

研修先は一番遠くてナポリ、レストランの形状は様々で規模の大きなリストランテやホテルのような所もあったそうです。ですので、私の場合は『この子はオーナー家族とズブズブになっても大丈夫でしょう!』と思われたということかなぁと想像しました。

メンバーと次に会うのは5ヶ月後、それぞれはドキドキしながらサヨウナラをし、私は同じ州に派遣されたメガネの男の子と一緒に電車に乗り、最寄駅の【デゼンツァーノ・ディ・ガルダ】で降りました。

研修先の方が迎えに来てくれたか、自分でタクシーで行ったかは覚えていませんが、派遣先のトラットリアは駅から車で20分程度。
今までは通訳のイケダさんが居ましたがこれからは自分でコミュニケーションを取らなくてはいけない!頼りになるのは小さな赤い翻訳機!まさに不安とワクワクが入り混じった感覚でした。

と、今月はここまで!

ここまでじっくり振り返るのは初めてで、特にリナルディ訪問の時は何も考えずに突撃していたので、若い力ってすごいなぁと今では思います。

あと1回で終わると思います。

へー、アンケの人ってこんなふうだったんだ〜、と思ってやって下さい。

若い子には、へー、おもしろそー、この人もできたんだから、僕私も行ってみよっかなーと思ってもらえたら幸いです。

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