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自分を大切にしてあげて

会う人会う人から決まって言われる言葉がこれです。最近この言葉の意味がようやくわかるようになってきました。

この人はどんな人だろう、こう言ったらどんな風に思うだろう、ちょっと機嫌悪そうだから…、このタイミングじゃ割り込みみたいになるし…、俺のターン!みたいになってるからそのまま話してもらっておこう…。とか色々考えてたらもう疲れた、1人になりたい。昔も今も基本的にはこんな感じのお付き合いになってしまっています。

みんな同じ考えになんてならないから、何かを決めるときは衝動を避けたくて案があってとっても言いたくても意見は言わない、言えない。顔色伺ってサポートに徹してばかりいると、人によっては便利屋みたいに思ってこっちの事情や思いなんてお構いなしにあれもこれもと雑用やちょっとした用事を色々頼まれてしまって。喜んでもらえるなら助けになるのならと全部引き受けて。ある日限界を迎えて主張すると、反抗したと思われ不機嫌になってしまう。その雰囲気が嫌で結局はいいなりになって…その繰り返し。

でも最近は…今でもそういう傾向はあるけれど、本当にただの便利屋としか思ってないような扱いをしてくる人とは少し距離を置くようになりました。そして便利屋と思われないために、少し自主的に動くことが増えたかなと思っています。やりたいこと、やるべきことがわからないから指図されて動くしかなくなる。自分で動けるようになるには、まだまだ色んな知識もスキルも不足しているなと気付きました。

ないものをあーだこーだ言っても仕方ない。地道な作業でも大切な一歩。その気が遠くなるような積み重ねを日々繰り返し、紆余曲折はつきもの決して諦めない。そうすればなりたい自分に必ずなれるはず。

キャパシティの限界を迎え心身参っているのにやろうとする姿とか、主張もなくあれもこれも言われるままに従ってる様子とか、でも疲れやストレスが隠しきれてないところを察してもらってとか。それがタイトルの「自分を大切にしてあげて」と言われる所以なんだろうなとわかったのです。


自分の体調一つや感情のぶれでも、理屈で考えてもわからないことがたくさん。多忙になると自分の身体の悲鳴や喜怒哀楽すらわからなくなることもあります。

自分を知ることが一番難しいのかもしれないなと思う今日この頃、だから人は自分の近くに誰か大切な人にいてほしいと思うのかもしれませんね。


余談。タイトルの写真は、今期の仕事で破損などしてお別れする道具たち。いつもお別れの時には綺麗に拭いてあげてから写真を残すのが習慣になっています。ものすごい環境にも主人の粗雑な扱いにも文句言わず一緒にいてくれて、今まで本当にありがとう…!

#最近の学び

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