コロナ禍を訪問介護員として迎えたこと
仕事や、家族の状況や、住んでいる場所など、
生活環境が違えば、コロナ禍で経験することも考えることも違う。
このときに、たまたま訪問介護の世界にいた私の体験。
「いつヘルパーさん来られなくなるか、ドキドキしてる」
コロナが船の上の話だった時期が過ぎ、日本人にも感染者が出て、増えて、
もしかして私に関係ある?東京もロックダウンってあり得るの?
と、私を含む皆が自分ごととして捉え始めた頃。
ケア中にお客様から言われたこの言葉。
さらに、
「世の中がピンチになると私たちみたいな弱者は切り捨てられる、当たり前よ、だって全員は救えないから」
と言われた。
コロナ関連ニュースを見て、まず自分が切り捨てられるかどうかを心配する、そのことがショックだったし、
胸に迫るものがあって、なんて答えようか迷っていたら、
「悲劇だって言っててもしょうがないし、今回もサバイブしないとね!」と言われて、
安心してもらえる何かを言いたかったのに、こちらが励まされた。
安心してもらえるように感染対策も会社としてやらないとな、
ロックダウンの場合ってどうなるんだろう、
分からないけど、これからもいつもと同じようにケアを続けていけるといいよなぁ、、
なんて思いながら自転車乗って帰ったのを覚えている。
今思えば、恥ずかしいほどに危機感ゼロ。
「何があっても生活を支える」ってどういうことか**
時とともに事態は深刻化し、緊急事態宣言が出ることが発表された頃。
海外の悲惨な状態もニュースになっていて、この頃は私も不安が強かった。
旦那さんや友人たちは早々にリモートワークに切り替え、
保育園に来ない子も出始めた。
私はまだ訪問を続けていて、事務所での仕事もあって、
電車に乗って、お客様とは濃厚接触の毎日。
自分が不安だから、「え?子供まだ預けてるの?」なんて言葉に動揺。
「こんなときだから、いつもと変わらずケアに行きたい」
「こんなときだから、家で娘と安心して過ごしたい」
どちらも本心で、どちらも私にとって大切で、
明日は継続?来週はどうしたい?
悩み、迷う。
そんな中で、保育園休園の連絡。
それにより選択の幅は大きく変わり、強制シャットダウンから、機能をしぼりまくったセーフモードへ。
負担が増える仲間への申し訳ない気持ち3割、
同じ人がずっとケアに来ることでお客様に安心してほしかったのにという残念な気持ちが3割、
選択から逃れられ、娘と離れなくていいという安堵が3割、
残り1割は、「これってなんかずるくないか?」という困惑。
なにをずるいと思ってるのか考える間も無く、事務所で在宅ワークの準備の最中、
新宿区から1通のFAX。
「一部施設は閉鎖だけど、福祉なので原則はサービス継続、止めないでね」
という内容だった。
、、、そんなこと言われなくても分かってる。
私たちが訪問を止めたら生活できない人の顔が次々浮かんでくるのだ、
現場の人はみんな、概念以上に、個別具体的にそれを理解してる。
訪問介護はインフラである、
すなわち我々がインフラだという気概、誇りがある。
でもちょっと待ってよ、それみんな少なからず持ってるけどさ、
ただ人のお世話をするのが好きだから介護士やってる人も、
直行直帰で一人行動が楽だからって人もいるし、
「私は新宿のインフラを担うのである!!!」なんて覚悟はなく、
好きで合ってるからこの仕事してるよっていう人だって多いのだ。
この緊急事態でそこに突きつけられる、
「福祉はインフラ=あなたがインフラ」
お、重い、重いよ、、、
インフラを担う人々にも暮らしと事情は当然あって、
小さい子供がいる、高齢の親がいる、
独身ならいいでしょってこともなくて、自分の病気、お金のこと、
何が怖いか、何が不安かなんて、属性だけでは到底分からない。
「インフラの一部である自分」と「いろいろ事情がある個人」
コロナ禍のような危機では前者が強調されて、後者が出しづらい。
後者の個別性を一つ一つ大切にしてる余裕がない。
でもこれは危機で強調されてるだけで、普段だって同じだ。
生活を支える系の仕事は、どうしても前者のパワーが強い。
でも、担っているのは人なのだ。
どちらが優先かなんて、概念で話しても空中戦で、
「インフラの仕事なんだから当然でしょ」を貫くのも無理がある。
この2つを対立にしない、挟まれてつらい状況に置かれて後ろ向きに離脱する人を出さない、これが大きなテーマだ。
社会全体で取り組むことも必要だけど、私たちがすぐ始められることはきっと、
誰にだっていろいろあるということを認めること。
それぞれにとっての「いろいろ」の重さは客観的に比べられないから、
事情の優劣を決めつけないこと。
あとはもう各組織の仲間の中で、そのときどきで誰の何を優先するかを選択し、
長期的にすべての個別性を尊重することを目指すしかないのかもしれない。
保育園休園で感じたずるさは、
「小さい子供、しかも保育園休園っていう強力なカードで有無を言わさず優先権を奪い取った」というような気まずさだったんだと思う。
(ずるいなんて誰も言わなかったから、私が感じただけ)
子供がいなくたって事情があったり、感染が怖かったり、
みんなにもいろいろあるはずなのに、
そんな話を聞く間もなく在宅ワークに入ってしまったこと、
今でも心にひっかかる。
保育園再開で事務所にいられる時間が格段に増えたことだし、
みんなに今あることを聞かせてもらうことから、また始めていこうと思う。
しなやかに、優しく、強い組織であろう。
私たちがインフラだ。
その気概を諦めずに進めるように。
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