母の最期は華やかであるように。#6

母と私の共通の友人であるカナちゃんが病院に来てくれた。
本当は母の顔を見て欲しかったけれど、やはりまだコロナの影響があって、家族以外の面会はできないとの事だった。

病院の玄関ホールに降りて行くと、久しぶりに会うカナちゃんの姿が。

「 カナちゃん…! 」

さっきまで平気だったのに、いざ誰かに会うと緊張がほぐれてしまう。
私はカナちゃんに抱き着いて、身を震わせて泣いた。

カナちゃんも泣いていた。既に目を赤く腫らしていた。今日ここに来るまでにか、昨夜にでも泣いてくれたのだろうか。

カナちゃんは私が以前働いていたアルバイト先のお姉さんで、母を含めて仲良くなった。
今では、カナちゃんと母は二人で食事に出掛けたり、近況を報告し合う仲になっていた。

私のnoteを読んでくれていたようで事の経緯は簡潔に済んだ。
そんなつもりはなかったのだけれど、気が付くと私は、ここまで抱えて来た気持ちを吐露していた。

「 お母さん、もう意識がないからさ。何をしても反応は返って来ないのね。個室の病室のなかで一人、死を待つだけの母と過ごすのはさすがに気が滅入っちゃうんだよね 」
「 悲しいはずなのに、逃避行動で心を守ろうとする自分もいたりして。楽観的な自分を恥じて悲しい顔しなきゃって思ったり 」
「 でもね、こんなこと言っちゃいけないって思ってたんだけどね… 」


———  今朝、母の余命を知った私の友人が、こんなメッセージをくれた。

〈 なんでなずなちゃんばっかり、こんなにつらい目に合うのかな、と本当に悲しい。 〉

人の不幸に、大きい小さいはない。
皆それぞれの苦労があって、悩むこと、悲しいことがあって、抱えられる心のサイズだって違う。
何がエラいとか、何がダメだとかも無い。

でも、その友人のメッセージを読んだ時にさ、私、ありがとうって思ったんだよね。
私が言いたいけど言えなかった、あえて言葉に起こしてこなかったことを言ってくれて。

“私ばっかり” なんて、思えば言ったことないかも。
でも今日だけは許して欲しい。

なんで私ばっかり。

両親の離婚も、父の暴力も、兄の家出も、性的虐待ももういいよ。終わった話だし、乗り越えた話だし。
過去を一掃するように、去年には23年の人生を書いた本も出してさ。
作中にも出した「 生き直し 」って言葉。
本当にその通りになると思ったし、するつもりだし、これ以上の不幸はもう巡って来ないと思ってた。
だって、こんなに、こんなに苦労してきたんだもん。
もう十分に苦しんできたでしょう?

なのに、まだ、試練を与えるの?まだ幸せになっちゃいけないの?
お母さんを奪うなんて。
私、まだ23だよ?まだ何にも成し遂げてない。何にも親孝行できてない。
お母さんを連れて行っちゃうのは、やり過ぎじゃないかなぁ、神様仏様。さすがにそれは。
これまでみたいに、私が苦しんで終わるだけで良かったじゃない。お母さんの命まで奪う必要ないじゃない。


そうだね、そうだね、ってカナちゃんはずっと私の背を撫でてくれていた。
『 意味なんて考えなくて良い 』『 立派でなくても、良い子でなくても良いんだよ 』って言ってもくれて、湧き出る涙が止まらない。

カナちゃんは、母のことを『 どんな状況の中でも “喜び” を見つけられる人だった 』と言った。
母の強靭なメンタル、強制ポジティブ変換機な性格。
確かに、周りを見ても母以上に明るい性格な人は見たことがないな。

カナちゃんは常々、母から私の話も訊いていたようで、母は私のことを尊敬してくれていて『 社長になる人はやっぱり違うんやなぁ~ 』なんて言ってたんだって。
親バカだな、って思うこともあったほどだって。

そんなの聞いたらさ、もう。


でも、カナちゃんの顔を見て、話をして。
病院のロビーだったから他の人たちが “変わらぬ日常” を過ごしている姿とかも見たらさ、暗くなっていた気持ちが少し明るくなったんだ。

明日どうなるかっていうような毎日だけれど、きっと私もその日常に戻ることができるって。大丈夫だって。

そう思って母の病室に戻るとね、
「 どんな状況でも喜びを見つけられる母 」だから、暗い雰囲気の中で最期なんて迎えたくないだろうなって思って。

Spotifyで、母が好きだった Mrs.GREEN APPLE の ケセラセラ をかけながら、これを綴っている。
今もまだ母の心臓は動いている。

ポジティブで明るい母だったから、最期も華やかに彩りを送ろう。
私にできることはそれだけだ。

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