母がくも膜下出血で救急搬送されたのが、1月17日。

脳の他にも肺や心臓も悪くしているとして、手術が行われたのは1月19日。
翌日20日、脳梗塞を発症。このまま数日様子を見るしかないと、病院の先生から電話が掛かって来た。

そして昨日、1月21日。

「 昼間に心臓が止まり今は再び動き出しているけれど、話がしたいので病院に来られますか? 」と電話が来て駆け付ける。

「 難しい話にはなるんですが、」と前置きされた後に訊かされたのは、脳死という言葉だった。

『 脳細胞が死んでしまっています 』
「 なるほど… あ、えっと、あの… 脳死という言葉の意味が、ごめんなさい、よく分かっていないんですけど 」
『 そうですね… 僕たちはいつも患者さんの瞳孔を見ているんですけどね、お母様の瞳孔はもう開きっぱなしになっていて…(中略)つまり脳の細胞が死んでしまっているんです 』

『 お母様の意識はもう戻りません 』

先生曰く、今は管を繋ぎ酸素を送って呼吸はしているけれど、これから脳が腫れてきて、じきに心臓が止まるだろう、と。


———  余命、数日。


「 なるほど… 分かりました 」

私は至って冷静だった。
救急搬送されて以来ずっとICUに入っていたのだけれど、一般病棟に移れば終日面会ができると言われて、すぐに個室に移るよう手配をした。
脳が死んでしまっている以上、もう今後回復の見込みはないから、次に心臓が止まれば蘇生処置はしないと合意書にもサインした。


そして、一晩明けた今日、1月22日。母の隣でこれを書いている。

名前を呼んでも返事は返って来ない。
手を握っても握り返されることはない。

ただ、薄く白い身体で、全身を使って一生懸命に心臓を動かしている意識の無い母の隣で私はこれを書いている。
もう目が開くことは無いのだろうし、話すこともできない。
今朝面会にやって来た時よりも、唇の色素が無くなっている気がする。

“次” は、もうすぐなのかもしれない。

私はこれを書き切れるのかな。
母の心臓が止まるのは一分後かもしれないし、一時間後、一日後、はたまた一週間後かもしれない。
分からない。
私はあとどれくらい、母の隣に居られるのだろう。

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