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6ヶ月から保育園に入れてよかったこと

長男が生後6ヶ月になるまで、私は育休を取っていた。

父親が6ヶ月間の育休。日本じゃかなり難しいのかもしれないけれど、政府による給与補助があるニュージーランドでは、男性が数ヶ月の育休を取ることは全く珍しくない。

長期間の育休は、取って大正解だった。零歳児は、1日1日どんどん変わる。今ではまるで別人だ。育休を取れたことで最もよかったことは、その変化の全てを目撃できたこと。私はラッキーだった。

保育園に入れることの罪悪感だと?

で、6ヶ月経った後、私が仕事に復帰することになったわけだが、その当時はまだベースが自宅と違うままだったので、単身赴任に。妻の負担を考えて、息子を保育園に入れることにした。妻曰く、

「6ヶ月で保育園入れるなんて早すぎるかな」

早いもなにも必要だから入れるだけじゃないのか、と思ったのだが、妻は子育てに関する情報を主に日本語のインターネットサイトから仕入れていて、早くから保育園に入れることの、母親としての「罪悪感」みたいな話をしたことがあった。なんでも、早くから保育園に入れると、育児をサボっている、とみなされる文脈が、日本にはあるそうだ。

こういう、絶対に一般化できない個人の選択肢の最適解を、あたかも社会的なコンセンサスがあるかのように偽装して、不必要にその個人に我慢と苦しみを与えようとする文脈が、私は大嫌いだ。

保育園をいくつか見て回り、家から近いところにあるチェーン系列のところに決めた。施設の真新しさはなかったけれど、庭が広く、保育士と子供の数のバランスがよく、何より週20時間まで無料で預かるという破格のキャンペーンをやっていたためだ。

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ニュージーランドでは、3歳以降は政府補助が出るので楽になるのだが、3歳未満にこれはなく、保育代が高くつく。週5で1日4時間分の保育代がタダになるってんだから飛びついた。ちなみに今は妻もパートタイムで在宅ワークを開始しているので、時間を延長して1日5時間預けているが、実質1時間分の料金でできるているので、非常に助かっている。

運動機能の劇的な進化

ニュージーランドの保育園は、子供の情操教育に「テファリキ」なる独特のコンセプトを採用している。簡単に言えば、その子供の興味や嗜好、成長の度合いに寄り添って、その子に必要なものを都度提供すること。

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息子は、動き回るのが大好きな性格で、好奇心旺盛。人見知りせず、知らない人にも笑顔を振りまいて大人を虜にする。そういう息子に、保育園は積極的にフィジカルなチャレンジを与えてくれた。

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ブロックを積み重ねたり、坂道を作ったりして、上り下りさせたり、小さなプールに水を貯めて触らせたり、シェービングフォームのようなクリーム状のものをテーブルにぶちまけて自由に触らせたり。

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保育園に迎えに行くと、子供たちはカーペットの上を転げ回ったり、砂場に突進したり、ドアに頭をぶつけて大泣きしたりと、なかなかのカオスだ。息子も毎回、小汚くした服と顔で出迎えてくれる。そのおかげか、鼻風邪はよく引くものの、大きな病気もせずにここまできた。適度に汚いほうが、免疫がつくのかもしれない。

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もともと歩き出すのが早かった(11ヶ月)が、おそらくこのテファリキの相乗効果もあったはずだ。ハイハイをしている段階では、庭のウッドデッキやソファーの「段差」を認識できていなかったが、いつの間にか足を下にして降りるようになった。

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今では、ほとんど走っているんじゃないかという勢いで、ふらふらと近づいてきては親の足に突撃してくる。時には転んでデコに擦り傷を作っているが、そのおかげか、転ぶ時にはちゃんと手を出すので安心して見ていられる。

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もちろん、歩き出すタイミングは個人差もあるから、早いから偉いというわけではない。でも、保育園に入れていなかったら、息子の運動機能がここまで発達していたかわからないことも確かだ。

親が「自分でコントロールできる時間」を持つこと

保育園に入れることは、当たり前だけど、親に時間を与える。でも、子供を保育園に預けている間、その時間を何に使うかは、保育園を使うことの本質ではない。

大事なのは、親が「自分でコントロールできる時間」を持つこと。

その時間を仕事に使おうが、昼寝に使おうが、友達とお茶に行こうが、構わない。その時間を好きにできる、ということそのものが、親の精神的安定にとって非常に大事なこと。そして、親が精神的に安定していることは、育児にとってクリティカルなのはいうまでもない。

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仮に、日本的な文脈を無批判に取り入れて、「サボらない」ために、保育園に入れなかったら、おそらく妻も私も疲弊しきって、それは回り回って息子を何らかの形で傷つけることになっていたかもしれない。

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だから、早くから保育園に入れることは、我々の状況には最適解だった。

子育てをサボることが、責任ある態度になりうる

もちろん、まわりに自分の親など頼れる環境があれば別かもしれない。でも、今はほとんどの人が、子育ての負担は自分たちだけ、つまり、よくて2人、大体が1人に集中した状態にあるのではないだろうか。

子育てをやってみてわかったことは、これは、もともと2人でやる仕事じゃないってことだ。3人4人、5人、10人で、つまり大所帯のチームワークでやるべきことで、まして1人だけでやっていいことでは決してない。現実に、そうやらざるを得ない状況で頑張っている人は、だから、その時点で確実に頑張りすぎている。がんばってできるからといって、それがあるべき姿であるとは限らない。疲れ切って正常な判断ができないパイロットが操縦する飛行機に、誰が乗りたいというのか。

そういう人は、保育園でも何でもいいから使って、盛大に、堂々と、サボるべきだ。それは、回り回って子供のためになる。問題は経済的な負担だが、それは優先順位の問題で、もし金を払って休めるなら、そうするべきだ。

日本の保育園はどんなのか知らないけれど、育休も保育園も、もっと簡単に助けを求められる社会になればいいなと思う。

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たくさんの方々からサポートをいただいています、この場を借りて、御礼申し上げます!いただいたサポートは、今まではコーヒー代になっていましたが、今後はオムツ代として使わせていただきます。息子のケツのサラサラ感維持にご協力をいただければ光栄です。