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D10 ロックダウンのNZでコロナ後の世界について妄想してみた

皆さんは、コロナ後の世界について考えているだろうか。

もちろん、今は目の前のことをやるのに精一杯だし、私も会社からクビを言い渡されてもいいように首を洗っている毎日だ。だが、少し先を見たときに、どんな世界を想像するだろう。この緊急事態が終わって、いつ元に戻るのだろうか、と考えている人は、少し考えを改めた方がいいかもしれない。

そもそも、本当に元の世界は、戻って来るのだろうか。

戻ってこないのではないだろうか。

ここらでちょっとコロナ後の世界について考えてみたい。

今回は、私の妄想によるフィクションが多分に含まれます。途中で苦しくなったら、読むのを中止してください。

戦争による断絶

先日の記事で「我々は第三次世界大戦の戦前・戦中を生きている」と言った。キャッチーな言葉を入れて表現を大げさにしようとして言っているわけではなくて、非常事態宣言と国全体のロックダウンが実際に行われている国に住んでいるからだろうか、私はリアリティを持ってそう考えている。

もしこれが「戦争」と言っていい状態であるならば、戦前・戦中・戦後という時代区分が可能になるだろう。歴史に断絶が生まれる。

ここで、第二次大戦の前後で何が起こったのか*をざっと振り返って見たい。

*思考実験のたたき台にするためにした、私なりの要約です。これが全てという気は無いし、省略・誤謬は折り込み済みです。悪しからず。

第二次世界大戦における戦前・戦中・戦後

第二次世界大戦では、戦前に世界中で帝国主義が台頭し、物理的な領土を実力で占領して市場を開拓していくことが成功の方程式だった。科学技術、株式会社、国民軍。そういう新しい「技術」をひっさげて、世界中を蹂躙した勢力は「列強」と呼ばれた。

戦中、台頭した列強が二手に分かれて潰しあった。争いは全世界の国々を巻き込みながら拡がり、世界中で数千万人の犠牲者を出して決着した。

戦後、戦勝国の中から生まれた2大スーパーパワーが新しい世界の秩序を作った。皮肉なことに、大戦を決着させた新兵器が見せつけたその人外の威力が、国同士がお互いを限界まで潰しあう総力戦の時代を終わらせた。戦争は減った。代理戦争と言われる小規模な地域紛争はあったが、それが全世界に拡大するようなことはなかった。

長い「平和」の時代は、戦勝国を中心とした国々の経済成長を助うながし、やがてタガが外れたように地球の資源を貪り出した。戦争にこそうったえなかったが、それは戦争が割りに合わなかっただけで、新しい市場を獲得して富を拡大させようとする自動運動に世界が巻き込まれていく構図には、既視感があろう。その勢力がやがて世界を席巻し、IT革命を経て現在に至る。あなたが今、覗き込んでいるその四角い画面やその中の情報は、そういった系譜を受け継ぐ勢力の最終進化ケイタイと言えるのかもしれない。

第三次世界(コロナ)大戦における戦前

さて、この「第三次世界大戦」の場合はどうだろう。上記を踏まえて類推してみよう。

「第三次世界大戦」の戦前とは、ちょっと前まで我々が生きていた世界のことだ。第二次世界大戦の戦後と「第三次世界大戦」の戦前は、75年も離れているから、その間に科学技術や価値観が大きく変わっているが、「世界は拡大・拡張する」というもっとも基本的なベクトルは変わっていない。その証拠に「第三次世界大戦」の戦前に台頭したのは、グローバリゼーションなる、形を変えた帝国主義だった。

単なる情報としてのマネー経済が実体経済を大きく凌駕した世界。バブルとその崩壊は周期的に観測され、IT革命が起こると、質量のない「お金」が情報空間を飛び回りるようになる。ヒト、モノ、カネが目まぐるしく動き、時空間的な隔たりはどんどん小さくなった。情報は光の速度で地球上を行き交うが、世の中の「動き」の動機は相変わらず、「儲け話はどこだ」であった。

世界は番付としての株価に一喜一憂し、Google、Apple、Facebook、Amazonといった企業は、IT技術をもっともうまく活用した「列強」で、今や世界の富のほとんどを生み出し、独占した。

戦中

2019年の暮れ、中国の田舎で、新型コロナウイルスが発生した。このウィルスは、驚異的な感染力で瞬く間に世界に広がり、各国は突如として生き残りをかけた戦いを同時多発的に強いられることになった。「第三次世界(コロナ)大戦」である。

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