現在・過去・未来

あなぽこ社のお二人へ

昭和歌謡の大ヒット曲(私のカラオケの十八番)の一節ですが記憶や記録を考えるときにどうしてもこの曲が頭の中を駆け巡ります。

 先月1歳になったばかりの孫を見ていると、初めての瞬間が毎日何回もやってきます。あっ!これは写メ撮っておこう、いや動画で保存しておこう、編集して初めて特集を作るのもいいな、などと思ってしまいます。

とにかく現在を切り取って残しておきたい、そんな煩悩だらけの日々。良い場面を取りたいがために、わざと仕掛けを用意してみたり。

 そんな大人の思惑とはウラハラに孫くんはどんどん興味の対象を見っけて、彼なりの表現で体いっぱい使って喜びます。(おやつの卵ボーロをお皿にのせただけでお尻をフリフリして踊りだす)

 お散歩してて白樺の木の前に立つと「はっぱ!はっぱ!」と連呼するので、満開のツツジを見せたら「あか!あか!」と言いました。たった一言の短い単語ですが、1歳なりの思いや表現が発露しているのでしょうね。音楽が流れてきたら自然と体がゆれて、楽しんでいるのがわかります。歌らしきものも口をついて出てきます。

 かたや、私の両親86歳の父、84歳の母。私の友人たちとも仲良しで昔のことを聞かれたりします。何気なくおしゃべりしていると娘のわたしが知らないような面白エピソードや戦時中の苦しかった記憶やらが飛び出してきます。家族以外の第三者の存在は、ずっとしまってあった記憶を蘇らせてくれるのですね。

そういえば先日読んだ本にこんな一節がありました。

「食べ物とは思い出のこと、料理とは甦りのことなの」

『パンと野いちご~戦火のセルビア、食物の記憶』山崎佳代子著 勁草書房

この一節が頭から離れません。毎日の食事を作ることはわたしが考えている以上の大きな力があるのかも知れません。食べることは生きること、まさに生活の記憶そのものなのだ!と二人の日記を読んで思いを深くしました。

   食べ物探検家  浦木 明子


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