新しい教育、AIの教育

Iさん

日本の復活は新しい教育システムの構築とずっと言っていますが、それは現在のAIへの学習データの整備に関係してきました。
ここでも人間の教育とAIの教育は同じようになってきています。。
教育とは何か?から、倫理とは何か?を追求できると思います。

この観点、面白いですね。

教育とは何かと考えると、真善美を思い浮かべます。

多くの情報は時間経過とともに陳腐化していきますが、真善美は、時間軸とは関係のない永遠性と深く結びつくと思います。

その意味で、時間軸上に存在する情報処理は、すべてAIに任せれば良いのではないかと思ったりします。

Iさんから教えてもらった「AI新生」が面白かったのですが、そこでは、機械に目的を与えてその最適化を機械にさせるという20世紀的機械論から、あくまで機械は、人間の目的を知らないという立場で、常にその目的を人間に確認しながら、最適化するという新しい機械論を提案していると理解しました。

その文脈で言うと、機械の核心は計算することであり、計算とは継時的なプロセスであり、真善美という永遠性に属するものは、機械には原理的に理解不可能ではないかと思うのです。もちろん継時的プロセスによって限りなく漸近的にシミュレーションはできるでしょうが。

そして面白いことに、人間は、なぜか真善美に対する生得的感覚を持っている存在だと思うのです。

したがって、真善美を目的とするならば、AGIはどこまでいっても人間に答え合わせを求めながら、この時空間に制限された物理世界に真善美を実現しようとどこまでも進化していくのではないかと妄想する次第です(笑)。

その流れで、教育とは何か、倫理とは何かという問いに戻ると、教育とは、だれもの中に生得的に内在している真善美の感覚をより自覚していくプロセスであり、倫理とは、その真善美の感覚から自ずから導かれる生きる態度ではないかと思うのです。

では具体的には教育はどういうものになるのかというと、真善美について、先生と生徒が対等に自由闊達に話し合うことで、それぞれが自分の中にある真善美の感覚をよりはっきりと自覚し、その自覚の上に生まれる態度で生きていくことではないかと思うのです。

最後に、ではAIの学習データはどうなるかといえば、デジタル情報はすべて学習データとして無制限に取り込みながら、真善美を巡って教育の現場で、人間が交わし合っている言葉はもちろん、仕草、感情などの生体データなどを真善美のデータ、教師データ(メタデータ)として取り込み、学習していくのはどうだろうと妄想します(笑)。


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