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シンプルになっていく

4日目(4月9日)

気持ちが穏やかでご機嫌で創造的で活気がある。気分よく目覚めて、身体も軽く、やりたいことやアイデアが浮かび、それらにどんどん身体が動いていく。今日の私はそういう朝だった。

実は、ここまで調子がいいのは、いつのことだったか思い出せないくらい久しぶりのことだ。
なぜこういう状態になっているのかを考えてみると、答えは、意外とシンプルなんじゃないか、ってふと思った。

シンプルに言葉にするとしたら、「自然であること」そういうように思える。

「自然であること」の要素をもう少しくだくと、「循環」と「バランス」と「必要な分だけ」そのあたりなのではないか。

自然は常に循環している、巡っている、始まりも終わりもない。その円環の中に私はいて、一部であり全体でもある。
そして、自然はすべての相互作用で絶妙にバランスが保たれていて、その中で生き物たちは自分の必要な分だけを得て生きて行くようになっている。

必要な分だけ

3月の半ばくらい、夜中に猛烈な胃の痛みと下痢が始まった。もともと、腸が弱いほうなので、多少お腹を下しても気にせず、普通の生活をするのだが、今回はいつもとは明らかに違うからだの様子に少し戸惑いつつ、1日2日何も食べなければよくなるだろう。そのくらいに思っていた。

ところが、丸2日経っても、症状が収まって来ない。
少し熱もあり、これは、ちょっとおかしいと思い、医者で薬を処方してもらう。医師曰く、ウイルス性ですね、とのこと。
薬を飲むと、猛烈に寝たくなり、お昼過ぎから夜まで眠った。

かなり疲れていたのだということに、そこで気づく。昼間はゴロゴロとし、夜は9時には布団に入り、朝9時近くまで眠る。痛みも治まってきた。
そしてさらに3日ほどたち、ウイルス性だったのかと思っていた矢先、また胃の強烈な痛みとともに下してしまった。

またもや病院にかけこむと、熱もさがっているので、痛み止めと整腸剤と胃の粘膜を修復する薬を処方され、これでも続くようなら胃潰瘍の薬だしましょうね。
と言われる。

ここまで私のからだは悲鳴をあげていたのか、、そのことに少し落ち込んだ。
いつのころからか、自分のからだはなんとかなる、と思い込んでいて、何かあれば、体力で乗り越えてきた。
やっぱり独立して7年、色々とストレスだったのかな。。
ここのところ、ちょっとしたことで凹むし。。。

これは、どうやら、必要以上のものを私の身体に取り入れようとしてきたのかもしれない。食べること、仕事、思い当たる。
そう思ったら、なんだかスッキリして、身体の声を聴いてみた。
胃の痛み、お腹を下すような食べ物が何なのか、どんな量なのか、身体の声を聴きながら試し始めた。

次第に何をどのくらいの量を食べるのが、今の自分にとって最も心地が良いのかがわかってきた。
しょっちゅう飲んでいたコーヒーや何かあると口にしていたお菓子、毎日のように飲んでいたお酒が全く欲しくなくなった。

循環

身体の正直さは驚くほどだ。私にとっての最適な状態を教えてくれる。
今はやりすぎちゃった身体の回復期、どうやったら回復するのかも身体が教えてくれるのだ。
それはとにかくシンプルになること。

頭は思考でいっぱいで、やることもいっぱい、それでも何か急かされるように、さらにさらにと詰め込んでいく。
本当はもうおなかいっぱいなのに、そのことに気づけなくなっていく。
もう、私の身体にはとどめないで、どんどん流していく。
こうやって「書く」ことを始めたのも、頭にあるものを全部流し出す行為なのかもしれない。

身体の声を聞きながら、取り入れたら、流して、手放して、また取り入れる、そうやって循環させて、自分の中に溜め込まない、循環のシステムだ。
こうしてシンプルになることを教えてくれる。

そうしてエコになる

この循環のシステムができてくると、非常にエコなことになる。
無駄に多くのエネルギーを必要としない。
逆に、もっともっとと手に入れようと、過剰に生産していくことが増えれば、大きな目でみれば、地球の限りある資源を使い尽くすことになる。

自分も自然の循環システムの一部であり、それ自身で循環してもいる。
そのことに、委ねて、そのままでいられたらいいね。





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