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方向音痴が書道教室を消しちゃった?

方向音痴においては、人後に落ちない自信がある。

幾度となく通った道をロクに覚えられないし、毎日の移動はスマホの地図がなければ完全に成り立たない。

道のりを頭にインプットして、その一度覚えた地図を頭の中に広げて目的地に向かうという能力が著しく劣っているらしい。地図を使って来た道は、地図を使ってしか帰れない。記憶力は良いので目印は覚えられるけれど、もし行きで「コンビニの横を曲がる」を記憶していても、帰りまでに解体工事が行われてコンビニが跡形もなくなっていたとしたら、もうお手上げだ。

さすがに何度も行った場所ならと自惚れて、地図なしで行こうものなら必ず迷子になる。近場で外食して帰宅するのに、スマホを睨みながら時々立ち止まっては顔をあげてきょろきょろと右往左往する様は、はじめてこの街へ訪れた人のようにうつるだろう。

地図アプリが教えてくれる水色の破線を、寸分の狂いもなく正確になぞるようにして歩く。地図が指し示す道がただひとつの帰路であり、近道も回り道も存在しない。いつもと違う方面から帰る時には、地図から一時も目を離さずに歩き、全く思いもよらぬところで自宅は突如として現れる。そもそも東京には行き止まりが多すぎるし、すべての道はローマどころかどこにも通じない。



先月、念願だった書道教室を近所に見つけて体験をしに行った。先生や教室の雰囲気によっては入会を諦めざるを得ないだろうと覚悟していたが、師範の先生は長い髪をかんざしでまとめた小綺麗な初老の女性で、おっとりとした口調でとめやはらいを丁寧に教えてくれた。子供から老人まで通う教室だが、人が多い時でも騒がしすぎるということはなく、先生の人柄も手伝ってか教室はいつも穏やかで、各々が心から書道を楽しんでいる様子だった。

体験で一度、そして入会を決めてから一度、教室へ通った。その二度とも、念のために地図を起動させて歩いた。ほとんどスマホの画面を見ることなく、無事たどり着いた。それはそうだ、自宅からまっすぐに五分歩くだけなのだから。幼稚園児でも通える。

そう思って三度目も、同じようにして(一応)スマホを片手に携えて、意気揚々と向かったのだ。だのに、教室が見つからない。

自宅から教室までは、ほんとうに単純な一本道だ。どこかで曲がり損ねたとか、路地を一本間違えたとか、そんなミスは起こり得ない。さすがのわたしも間違えようがない。

それでも、強烈な道コンプレックスを持っているわたしは、また己の方向音痴に原因があると思い込んだ。目的地が見つからなかったことはこれまでに何度もあった。大丈夫だ、わたしにはGOOGLE大先生がいる。
仕方なしに、地図アプリの目的地に書道教室の名を入れる。教室は、レンタルスペースとして貸し出されている空き民家で開かれているが、もう何年も前からやっているようで教室名を入れるだけで地図に表示される。

地図を見ると、ほとんど目的地だった。自分の現在地と目的地のマークがほぼ重なっている。たしかに合っている。けれど、入り口が見つからない。

いつもなら、このあたりに茶色とこげ茶が互い違いに積み上げられた煉瓦とクリーム色の門扉が見えてくるはずだ。しかし、いくら探しても見つからない。

あるべきところには、白い大きな壁があるだけだった。
それはとても形容しがたい。ブロックをモルタルで固めた壁とか、ところどころに穴ぼこがある打ちっぱなしのコンクリート壁とか、無垢材を組み合わせた壁とか、そんな一度は見たことがあるような壁ではない。それはどこをどう見ても継ぎ目のない一枚岩のようなまっさらな壁だ。白はどこまでも白く、汚れは一点も見当たらない。しかし、それでいてあまりに周りに馴染んでいる。普段であれば、気に留めることなく通り過ぎていただろう。両隣の民家の塀とはぴったりとくっついてわずかな隙間も見えない。

これは、壁ではないのかもしれない。けれど、目の前にそり立つ説明不可能な四角い塊を、自分の語彙の中で表現するのであれば「壁」以外にない。
そっと触れてみると、とても重たい。触れただけだ。もちろん、壁を持ちあげたわけではない。それなのに、ずしんと重い。積まれた本を持った時とも、米俵を持った時とも違う。ひんやりと冷たくて、絶望的に重い。手の感触はとても硬いけれど、それと同時にとても滑らかだった。

教室が見つからないことよりも、この壁の異様さに圧倒され、しばらく呆然としていた。

我にかえって、先生に連絡しようと思った。しかし、連絡先がわからない。
(先生は万年筆で書いてモノクロコピーしたお手製の「書道新聞」を毎月生徒に配っていて、わたしもそれを体験の時にもらっていた。そこには先生のガラケーの電話番号が書かれていたはずだが登録はしていないし、「書道新聞」は家に置いてきた。)もちろん、ホームページやSNSもない。

今になって気づくが、その書道教室のことは「毎週水曜日17時から」という情報以外知らなかった。行けば先生がいて書道を教わる。それだけだった。

最後にもう一度、周辺をぐるりと回ってみよう。地図はときたま間違えて目的地の裏側に導くことがある。それかもしれない。そう思い、右に曲がると、教室の看板があった。
「◯◯書道教室この先左折」
そうだよな、と思い、きた道を戻る。「この先を左折」したが、案の定あるのは壁だけだ。



その途方もない壁を再び目の当たりにして、なぜだかすとんと腑に落ちた。
なんというか、これまで夢と現実の境があやふやになったり、ありもしない幻想を頻繁に描いてきたりと、非現実的なことと常に隣り合わせだったというか、なにか受け入れられないくらいの非合理が起こってくれとさえ日頃思っていたばかりに、いよいよだなという感じまでした。

これはおそらく、説明できないことなんだ、という腑の落ち方だ。世の中には説明できないことがたまにあるし、そしてそういう風に思っていた方がいいこともある。そもそも、書道教室なんて最初からなかったのかもしれないなんてこともあったりなかったりする。
わたしの脳は、思わぬ出来事に対する順応性には長けているらしい。



早々に諦めて、駅の近くの喫茶店へ向かった(もちろん、地図を使って。)
そこで今起こったことを整理するつもりが、何度考えても結論は「説明できない」に集約され、疲れてしまった。持っていた文庫本を読み耽けるうちに、一連のことをすっかり忘れていた。

そして次の水曜日、同じように書道教室へ向かった。
案の定、地図を見るまでもなく書道教室はあった。もう何年も前からずっとここにありましたよ、というような風貌で、門扉は開けられるのを待っていたかのように堂々と。

入るなり、先生が駆け寄ってきた。
「中村さん、先週どうなさったの?お教室の前を何度も行き来して結局帰ってしまって。窓から見ていて話しかけようと思ったら、いつのまにかいなくなってしまって、体調悪かったかしら?」
何事もなかったかのように教室が存在することは想定の範囲内だったが、先生からの言葉は思いもよらず、混乱した。そして、しばらく間が空いたのち、とっさに答えた。
「そうなんです、着いたとたんに具合が悪くなって帰ってしまいました。連絡もせずにすみませんでした。」


たしかに、教室は存在していた。
わたしの知らない次元/空間で。いや、わたしの方が知られていない次元/空間へ行ったのかもしれない。そして、当たり前だけれどどこをどう探しても、白い大きな壁は見つからなかった。あのとき、どんなに探しても教室が見つからなかったように。

頭が朦朧としている中で、書道を書き始めた。ぼんやりとした中で毛筆を動かすのは生まれてはじめてだったが、なかなかに心地が良かった。書道は頭をあまり使わないところがよい。デザインと違って。


すると、小学校低学年くらいの女の子のお迎えにやってきた母親が、先生に話し出した。
「先生、先週すみませんでした。この子、お教室が見つからなかったとかなんとか訳のわからないこと言って、うちに帰ってきちゃったんですよ。あんまりにやる気がなくて困っちゃう。」
先生は相変わらずおっとりと答えた。
「気がのらない時もありますからね。特にお子さんはね、無理してやるもんじゃあないのよ。今日はうんと集中していたし、だんだんとお上手になってるわよ。」

女の子を見ると、母親から借りたスマホでゲームに夢中になっていた。


その女の子とは、それ以降も毎週顔を合わせた。
そっと、「ねえ、わたしも教室見つけらんなかったの。」とか「あの壁、なんかすごかったよね。」とか、声をかけることもできたけれど、やめておいた。


生まれながらの方向感覚の欠如がもたらした「道」というものへの不安や恐怖が、白く大きな壁を作り上げてしまったのではないかと思ったこともあった。けれど、あの日わたしと同じように教室を見つけられなかった人間がいた。それがわかっただけで十分だ。
もしかしたら、あの時どこかでだれかも、あるはずの白い大きな壁を見つけられず、そのかわりに毛らしきものにどす黒い液体をつけて何かの儀式をしている老若男女の集団に出くわしてしまい、とても混乱していたかもしれない。


来週の書道教室も、たのしみだ。

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YURIKO NAKAMURA
長いのに読んでくれてありがとうございます。