見出し画像

『時雨』というインク。

私は雨が好きだ。でもどうして中々雨の中に巡り会えない。その難しさが更に雨を求める。

ザッと世界が雨の音で掻き消される時、いつもの嫌な音が静かになって、
誰もが外を嫌がって、
ポツポツ、パタパタ、時にザザザザ、音を立てて通り過ぎていく。
窓を何度も滴が打ち付けている。
そして街が濡れて、洗われる匂い。
むせ返る程の独特なあの濡れた匂い。
全部雨の匂いに変わっていく。
だから雨が好きだ。

広島と岡山は晴れの国で、晴天の似合う場所だ。
中国山地と四国山地に囲まれたこの二つの土地は、
本当に雨が滅多に降らない。
だから待ち侘びていた。
雨を。

東京に来て一番に気に入ったのは雨がたくさん降る事だ。
気まぐれに起きた時、薄暗くなった窓を少し開けると、
雨が降っている。
本当に狭いワンルームに住んでいたから、
ベッドの横から大きな窓が開けられるようになっていて、
一階小道に面しているのに、
構わず雨を見る為に開けていた。

雨の音で雑踏が聞こえない。
雨の匂いで起きれた日は最高だった。
あの湿度も大好きだ。
だから雨が中に入ってくるのも構わずよく開けていた。
木造建築の一階だから物凄いカビた。それはそう。
でも雨が大好きだから、
東京に住んでいる人は羨ましいなと思っていた。

雨が降った後の空気は何にも代えがたい程好きだった。
雨上がりの夜だけ歌うような歌手になりたいと思っていた。
濡れて洗われた空気と湿気と、
街灯で照らされる濡れたアスファルトの道と街。
見惚れてしまって、大体水溜まりに気付かない。
でもそれでも、いつも見ている東京の街ですらあんなに綺麗なのに、
格別に綺麗だと思った。
特に夜は。

ずっと東京の夜の雨を待ち侘びている。
晴天続きの広島の海の町で。


東京に居た時に横浜の友人がガラスペンとインク沼にハマっていた。
今もだけど。
私はガラスペンは割る自信があったのと、
ガラスペンで紙を擦る感触はむずむずするのでちょっと苦手だった。
その時に万年筆を思い出した。

小学低学年くらいから結局高校生になる前までずっと書道に通っていた。
最終的には楷書は十段、行書は五段、筆も五段ぐらい行ったかな?
取り敢えずそこまでずっと続けてる人は他にいなかったから、先生とだけ仲良しだった。
そのどこかの段位昇格で確か万年筆を貰った。
壊れて使えなかったけど。

それを思い出した。
多分万年筆が自分には一番しっくりくる。
明治の文豪も好きだし。

それから秋葉原のヨドバシカメラに行った。
あの文房具売り場は無限大に広いのを知っていた。
あの中ならきっと欲しい万年筆が見つかるだろうと。

ショーケースに入ったものは最初から考えていなかったので、
別の陳列棚を探した。
そして相当迷った挙句、1000円の一番安いワインレッドの万年筆を買った。
それと同時に気に入った色のインクを買った。
これは全然迷わなかった記憶がある。
SAILORの『時雨』だ。
ちなみにその後特殊なカートリッジが別途必要になって、右往左往する事など知る由もなかった。
ただ良い色だなと思った。
これで文字を書きたいと思った。
そして名前も気に入った。

それから色々試行錯誤した結果、時雨のインクで書けるようになってから、大分文字を書いた。
まっさらだったノートにびっちり詩が残っている。(日記は今でも苦手)


そんな自分が余りにも晴れ女なのは後に低気圧で眠りが深くなるという特性があったからと判明する。
だから外に出れた時必ずと言っていい程曇っている。
最初は雨が降っても、自分が外に出る間だけピンポイントで雨が降らない。
でも何か先の予定の時でも殆ど雨が降らないから、
只の晴れ女説もある。
本当に『雨が降らない』。雨予報でも曇っている。
雨が大好き過ぎるから雨が降らないのかと。
雨が大好きな晴れ女。
いつも待ち侘びている。


自分の机の写真を撮ろうとしたら、
机の上に『時雨』のインクがいつも置いてあって。
それがあの時、TKさんの自伝を読む前から普通の光景で、
そもそも凛として時雨がこんなに気になる存在になるずっと前から、
ずっと雨を待ち侘びていて。
雨後の夜を待ち侘びていて。

余りに運命的過ぎて最早皮肉めいている。
予感や予測や直感を通り過ぎている。

『同じ世界を見ている人が他にいるのか。』

思い入れがあり過ぎて、
情報量が多過ぎて、
『な、何だか不思議な事ですね…。』
なんて言葉しか出ない。
言葉に詰まる。


見ている世界は絶対違うはずなのに。
端々で何かを思い出す度に『あ、あの自伝と同じ事を考えてた』となる。
……名前が付けられない。
この感覚に似合う言葉が見つからない。
どれ程言い尽くしても伝わらないくらい、
多分、同じ世界を見ている。

『自分は孤独じゃなかった。』

此方の事はきっと観測できないから、
私が一方的に少し孤独感が和らいだのは本当だ。
それが世間に曲がりなりにも受け入れられている事が、
変な話だが、自分が少し肯定された気持ちになったのも本当だ。
自分には持ってないものばかりなのに、不思議な感覚だ。


いつか交信したい。
深すぎる深海の底でずっと信号を送っている。


こんな場所で出会えたご縁に感謝します。貴方に幸せの雨が降り注ぎますように。